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岩下壮一とG.K.チェスタートン

若松英輔氏の講演に影響されて、岩下壮一神父著『信仰の遺産』を手に取った。ずっと以前に購入していたが、読まないままになっていた。文庫本の小さい文字は白内障も緑内障も進行中の私には読みづらい。どこかとっかかりがないかと、目次を眺めていたら、G.K.チェスタートンの名前が見つかった。 私は大学生の頃、チェスタートンを愛読していた。といっても、Father Brown という神父が主人公の探偵小説のシリーズだけだった。3年次だったと思う。Essay という通年講座で、年度内に100篇のエッセイを読み、その一つ一つについてコメントを書いて出すという課題が出された。私はチェスタートンの短いエッセイ集を選んだ。すごい量の宿題だったので、そのことだけが記憶に残っているが、内容については、なにも残っていない。 『信仰の遺産』中のチェスタートンの名前に惹かれて、その章を読み始めた。冒頭の数行は次のようである。 「チェスタートンは私の座右の書ではないがここ十年来の枕頭の書である。一日の仕事に疲れた頭と心とを医す一番いい慰安は床の中にもぐり込んで枕頭のチェスタートンを読むことである。そこに私は自分に最快適な世界を見出す。私を悩ますあらゆるコンプレクススは彼の明快な議論とユーモアとによって解消する。若しもこんな夜更けに私の寝室を窺う盗賊があったとしたら、彼は気違いの家に紛れ込んだと思うに違いない。私は彼を読みつつ幾度か深夜の寂寞を破って、ひとりで哄笑、爆笑をすら禁じ得ないことがある。それほど彼は私を愉快にしてくれる。」 チェスタートンについて書いたとき、岩下神父はハンセン病療養所の神山復生病院の院長であった。「ある患者の死」という章では、患者の苦しみを見殺しにするしかない現実に直面して、「プラトンもアリストテレスもカントもヘーゲルも皆、ストーブの中へ叩き込んでしまいたかった」と書いておられる。 そのように厳しい現実の中で、ささやかな楽しみをチェスタートンに見出しておられたことに、ホッとさせられる。「こんな面白い本を皆よんで了ってはあとの楽しみがなくなっては困ると思うから、急いでよんだりしたことはない。」とまで書いておられる。 残念ながら、『信仰の遺産』を通読することはできなかった。でも、神父の生き方そのものに魅力と深い感銘を受ける。

オモウをあらわす漢字

若松英輔氏の講演を聴く機会に恵まれた。岩下壮一神父と、その影響を受けた吉満義彦氏、ひいては遠藤周作をめぐりながら、キリスト教教育について話された。重厚で心に響くお話だった。1時間にわたるその講演をまとめることはできない。今振り返ると、ふと思い出されるのは、質問の時間になって、1人の女性がされた質問と氏の答である。 「苦しい時、ともにいてくださる方(神)がいらっしゃると思いたいけれど、思えないことがあります。そんなときは、どうすればいいでしょうか」という質問。それに対して、氏の答は、「 オモウには、ふつう、田と心からなる漢字を使います。でも、オモウをあらわす漢字は、それ以外に10個あります。『念』もそうです。それ以外に9つあります 」だった。 「思えなくとも、念っている」という意味であろう。慰められる感じがした。質問した女性もそうだっただろう。 weblio シソーラスで調べてみた。 怤・ 諰・ 恁・ 念・ 以・ 侖・ 懯・ 惟・ 思・ 想・ 悕 たしかに11個あった。

2回目のワクチン

5月30日、1回目のワクチン接種に行った。同じ修道院に属しているシスターが同伴してくれた。そのシスターは、85歳の私より5歳若い。元気で、体力があり、料理がとても上手である。接種会場で、長い列で待たされている間、受付での書類確認などなど、そばで見守って、手荷物を持ってくれたりした。 その10日ほど後、昼食を一緒に食べていると、彼女の様子がおかしい。 「気分が悪いの」とたずねると、「うん」と返事。「うまく話せない」という言葉が、ろれつが回っていない。唇の左側が下がっている。すぐに専門病院に80歳の修道院院長が同行して行った。夕方遅く、院長が一人で戻ってきた。検査の結果、ラクナ梗塞と判明。安静にする必要があり、即入院したとのこと。10日間ほどの入院の後、退院してきた。体調に大きな変化はない、あえて言えば、言葉が少なくなった。 7月3日、私の2回目のワクチン接種の予約があった。誰が同伴するかになり、退院して間もないシスターが行ってくれると言う。他に行ける人もいたけれど、ありがたく彼女にお願いした。午前中、大雨で、熱海の土石流のニュースもあり、どうなることかと思った。接種会場に行くためのタクシー予約の電話をすると、行かれないかもしれないとか。正午頃になって、急に雨はやみ、無事、ワクチンを受けに行けた。一人で行けたかもしれないけれど、同伴してもらって、心丈夫だった。 現在、私の修道院のメンバー9人のうち、1人が来月65歳、2人が70代後半、80歳が2人、85歳が2人、1人が90歳である。「限界集落は人口の50%以上が65歳となる自治体」とされるが、割合からすると、限界集落もいいところである。それぞれが何かの持病を抱え、互いに助け合いながら(私の場合は、助けられながら)生活している。明るい現状とは言えないけれど、幸せだな、と思う。 最近はどこの修道会も似たような現状で、若い人たちが入会しないから、高齢化をたどる一方だけれど、皆さん、きっと同じような思いでいらっしゃるだろうと思う。

ショウジョウバエの睡眠

ショウジョウバエの睡眠に関する新聞記事があった(朝日朝刊、6月24日)。長い記事をかいつまむと、次のようである。 眠らないハエを調べると、脳の神経伝達物質ドーパミンのブレーキ役の遺伝子が欠けていることが判明。ドーパミンは人間の脳でも重要な働きをする。覚醒のほか、学習や記憶、感情、意欲、運動の調節など。人は、昼と夜の変化に同調し、ほぼ24時間の周期で体内の環境を変えている。この「時計遺伝子」は、ショウジョウバエと人と同じであって、生物の全身の細胞にあって時を刻んでいることが分かった。 この記事を読んで、ショックを受けた。うまく説明できないが、私には、空や海や大地に放射能をまき散らしたりしない、自然を尊んでいる、といったような自負があった。それがペチャンコになった感じがする。同じように造られているのに、ショウジョウバエを一段下に見ていた。さげすんでいるものは消えてしまってもいいと、無意識に思っている。これが自然破壊の原因になるのではないか。ウジ虫が増えては困るけれど、それは人間の都合に過ぎない。 上記の研究を続けておられるのは、名古屋市立大学教授の粂和彦氏である。時計遺伝子の研究は世界的にショウジョウバエで先行し、その後、時計遺伝子がヒトやマウスでも確認された。「体内時計という高度な『行動』をつかさどる遺伝子が人間とハエで同じなんて、という驚きがありました」と言われているように、氏自身も驚かれたらしい。 氏の研究室には、常時、1万匹以上のハエが試験管の中で生きたまま保管されているとのこと。ハエを消すのではなく、育てる。その研究によって、ヒトの睡眠が解明されつつある。

宮崎の靴屋さん

朝6時25分から始まるラジオ体操で、私の一日が始まる。5分ほど前にテレビの前に座り、体操が終わると、ぬるま湯を飲みながら10分間ほどテレビを見ながら一息つく。 その10分ほどの間に、宮崎の靴屋さんを取り上げていた。ご主人は、子どもの頃の小児麻痺の後遺症で、今でも2本の杖を使って歩いておられる。足が不自由なので、遠くには行かれない。靴屋をすれば、その靴が自分の代わりに遠くまで行ってくれる。 だから靴屋になろうと思い立ち、奥さんと47年間、靴修理をしておられるとのこと。 修理に出すほどの靴は、いろんな思い出が詰まっていることだろう。靴をもちこむ人は、その靴の歴史を話したりするだろう。「お母さんが就職祝いに買ってくれたブーツなのです」と、かかとのはがれたブーツをもってくる若い人。長年履いていて、愛着のある靴、などなど。「靴にはそれぞれ歴史があります」とご主人。 ご主人が修理した靴を、奥さんが磨いて仕上げる。仕上がった靴が、自分の代わりに行く先を想像なさるのだろう。「二人で一人前です」と話す高齢のご主人は、幸せそうな笑顔を見せておられた。

小林稔侍とじゃがいも

最近は再放送のドラマでしか見かけることがなくなったが、小林稔侍という俳優さんがいる。「税務調査官 窓際太郎」や「駅弁刑事 神保徳之助」などのテレビドラマで、長い間、楽しませてもらった。地味で、ちょっとひょうきんで、けれんみがない演技に好感がもてた。それに少し弟にも似ていた。 いつのころからか、私はこの人に「ジャガイモ」というあだ名をつけていた。「今夜はジャガイモのドラマがある」とか、「ジャガイモが今度、映画に出るそうよ」というふうに。 少し以前に、たまたま、この人がTVインタビューで次のように話すのを見た。 若いころ、東映のオーディションを受け、合格した。同期で合格した人たちは、みな、男前で演技も映える人たちだった。そんななかで、自分は泥臭いじゃがいもでしかなかった。それなら、じゃがいもに徹しようと決心した。 胸を突かれる思いがした。彼は、ありのままの自分で演技をするという志を貫いておられたのだ。その志が、彼の演技から伝わってきていた。 ジャガイモさん、バンザイ!  

カメと神さま

数年前、8日間の黙想のため、琵琶湖畔にある祈りの家に行った。残念なことに、今はもう閉鎖されてしまったが、建物1階の一番奥が食堂で、湖水に面していた。全面がガラスの引き戸になっていて、そこを開けると、ちょっとした石畳、5メートルほどの白い砂地、そこに琵琶湖のさざ波がよせていた。 1日目の朝早く、ちょっと外に出ようとした。玄関は食堂の反対側にある。玄関のドアを開けると、ドア・マットの上に小さな、小さなカメがいた。3センチほど。踏みつぶされるといけないと思い、つまんで、傍らの茂みのなかに置いた。笑われるだろうけれど、そのカメを見たとき、神さまが待っていてくださったような気がした。 私は長い間、古代日本人の信仰の形を知りたくて、あれこれ調べてきた。古事記や日本書紀は、政治的な意図で編纂された文献だと考えるようになり、それ以前の信仰の形はどのようだったのか、追いかけずにいられなかった。そして見つけたのが、古事記や日本書紀以前に書かれたことが立証できる丹後国風土記に書かれた浦島伝説を見つけた(詳しくは拙著『浦島伝説に見る古代日本人の信仰』)。 丹後国風土記によれば、カメは神の取る一つの姿とされていた。古代、そのように信じる一大豪族が存在した。カメを見て神さまが待っていてくださったと思ったりするのは、浦島伝説にズブズブにはまっていた私の自然の反応だっただろう。 朝、二階の窓から庭を眺めながら、歯を磨いていた。指導司祭が前日の講話で、「歯を磨くのも顔を洗うのも、奉献生活の一部」と言われたことを思い出しながら。すると、カメが庭を横切るのが見えた。二階から見えるくらいだから、初日のカメより大きかった。20センチ以上はあっただろう。アレッ、神さまが私のなかで大きくなったのかな、と思った。 最後の日の夕食、皆、沈黙で食事をしていたが、一人のシスターが「カメが泳いでいる」と、大声で湖を指さして言った。見ると、何匹ものカメが頭だけ水の上に出して、こちらの方に向かって浮かんでいた。さようならを言いに来てくれたのだろう、と思った。 翌日の朝、 もうカメともお別れだと、少し淋しく感じながら 黙想の家を出た。 京都駅から新幹線に乗った。指定席は車両の一番前の席だった。 座って目を上げたら、目の前の壁にポスターが貼ってあった。中央に 左向きのカメの写真だけが車のように大きくのせられ、キャプションに「エ ...

幼稚園時代

 6歳のふうこちゃんの記事を読んで、自分の幼稚園時代を思い出した。 幼稚園にもっていく手提げ袋や、行った日にシールを貼ってもらうお通い帳に書かれていた私の名前はサナヘだった。サナエなのに、サナヘと書かれるのはいやだった。母に言って、幼稚園の先生に話してもらった。先生の答は、苗の仮名はナヘですからサナヘです、とのこと。がっかりした。現代仮名遣いで苗はナエになったから、今ではサナエと書ける。 ある朝、セーターの首元のボタンを留めるとき、素敵なことを思い付いた。一番上のボタンを一つ下のボタン穴に入れ、下のボタンを上のボタン穴に入れた。幼稚園についたら、先生が「今日は自分でお洋服を着たの?」と言って、ボタンをはずして、入れかえた。「大人って、なんてつまらないのだろう」とその時思ったことを、今でも鮮明に思い出す。大人は5,6歳の子どもがどんな目で見ているか、思いつかないのだろう。

種まきのたとえ話

種まく人のたとえ話が聖書に記されている(マタイ13以下)。種をまいた人の種が、道端や石地や、いばらの中に落ちた。それらは育たなかった。しかし、よい土地に落ちた種は百倍の実を結んだ、というたとえ話である。 この話を聞いた6歳のふうこちゃんが、神様に書いた手紙に、こんな風に記したという記事を読んだ。(『福音宣教』2021年6月号)  きょうかいで たねまきの おはなしを きいたの。  たねが むだに ならないように  かみさまの おはなしを  よく ききましょうって いったけど、  ふうこは あの たねたちは  むだにならないって おもう。  だって みちに おちた たねは とりさんが たべたし、  いしのうえや いばらのなかにおちた たねは  めをだして ひょろひょろでも  むしさんが たべたと おもうよ。  だから だいじょうぶ。  たねは むだになんか ならない。   (横田幸子編著「かみさまおてがみよんでね」コイノニア社) 聖書学的には、たとえ話は寓話と異なるという説明を聞いたことがある。寓話は、話のそれぞれの部分が何かにたとえられているのに対し、たとえ話は全体として一つのメッセージをもつ。種まきのたとえでは、種が大きな実を結んだというのが、本来のメッセージであった。 聖書の種まきのたとえを聞くと、私たちは「自分はどこに落ちた種だろうか」と心配になる。でも、イエスは私たちが自分や他人をとがめるためにこの話をしたのではないだろう。神のまく種はかならず実をむすぶ、と伝えようとしたのだろう。 ふうこちゃんは、イエスの思いをしっかりとつかんでいる。  

見えない助っ人マックス

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もう30年あまり以前になるが、アメリカの修道院に1年ほど滞在した。その折に出会ったシスターが「マックスに頼めば、駐車場のスペースでも見つけてくれるよ」と言って、はがきサイズのカードをくれた。カードはマキシミリアン・コルベ神父像の写真であった。シスターがマックスと呼んだのは、コルベ神父のことである。コルベ神父は、知られているように、アウシュヴィッツ強制収容所 で餓死刑に選ばれた男性の身代わりとなり、1941年8月14日に亡くなった。1982年10月10日、カトリック教会によって列聖されている。 大学の教授で、日ごろ沈着冷静なシスターが面白いことを言うな、くらいの気持で受け取っていたので、アメリカ滞在中は、マックスのお世話になることもあまりなかった。それでも日本に帰るとき、例のカードはちゃんと持ち帰った。シスターの言葉をまったく無視できなかったからだろう。 それからは、たびたびマックスのお世話になっている。印象に残った例がいくつかある。一つは、何年か前になるが、私の知人の体験である。「クラッチバッグを山手線のなかに置き忘れたらしい」と彼女から電話があった。クレジットカードや現金も入ったままで、カードはカード会社に電話して止めてもらったけれど、どうしよう、と泣き出さんばかりだった。どうすればいいのか、なにか助けてあげられないか。電話を受けながら、ふとマックスのことを思い出した。その人は、カトリック信者でもなかったけれど、「アメリカ人のシスターに教わったのだけれど、マックスにお願いしてみたらどうかしら。信じないかもだけれど、ためしにお祈りしたら」と言ってみた。2,3日後だったと思う。彼女からの電話で、警察から連絡があり、バッグが届けれたとのこと。中身もそのままだったらしい。 このごろ私は度々マックスのお世話になる。先日はカーディガンのボタンが一つ無くなっているのに気が付いた。ボタンたった一つだけれど、私にとっては大事件である。同じボタンはまず見つからないだろう。同じようなものを一つだけ買って付けるわけにはいかない。五個買って、みんな付け替えなくちゃならない。アーーア 。 マックスにお願いした。そのあと、最初に出会った人に、「ボタンを失くしたのだけれど」と言ったところ、「どんな色?」「グレーっぽいの」「ちょっと待って」と言って、彼女は家のなかに入り、そのボタンを手に出てきた。...

両手で顔を洗う喜び

右手中指がばね指になり、ステロイドを2回注射したりしたが、痛みが我慢できなくなり、手術をしてもらった。手のひらの指の付け根部分を2センチほど切開して、滑膜をとりのぞくということだった。手術の準備に1時間以上かかったが、手術そのものは15分ほどだったらしい。「らしい」というのは、手術台に寝かされ、伸ばした腕の付け根のところにカーテンがかけられて、向こうは見えない。手は部分麻酔。なにが起こっているのかわからないうちに、手術は終わっていた。 手術箇所をぬらしてはいけないとのこと。水仕事をするときは、お料理などに使うポリエステルの手袋をはめた。手術した指は腫れており、包帯もしているので、手袋も指先くらいしか入らない。朝、顔を洗うとき、ポリエステルで顔をなでるのも嫌で、左手だけで洗っていた。洗うというか、水で顔をぬらす感じである。 2週間ほどして、やっと抜糸になった。抜糸というから、切開部分を縫った糸を引き抜かれることを想像していた。実際は、切開跡のかさぶた状のものをピンセットで取り除くだけのことだった。 翌日から水を使ってよいとのこと。 待ちに待った朝、顔を洗った。片手でぬらすだけでなく、両手で顔を洗った \(^o^)/。 こんなに嬉しいこととは思わなかった。当たり前だと思っていたことが、そうではなく、ありがたいことだったとわかった。

人間の本性的祈り

遠藤徹先生がお書きになった次のような文章が、心に残った。 神様と呼びかけるかどうかは別として、 「助けて!」という心の叫びを、誰に向かって発しているのか分からずに、発している ということは間違いなくあるのではないか。発しようと 「意志する」ことなどなしに、思わず、つまり「自然に」、「自ら」、 発しているのではないか。 この「自然(nature)」には紛れもなく人間の自然本性(nature)が、人間という存在の根本的な成り立ちが、無為の内に、無垢のままの状態で、露呈しているのではないか。神とは本来そういう場面で初めて、根源的に、本源的に、出会うものではないか。 神が先に存在していて、その神に向かって助けを求めるのではない。誰に向かって発してい るのかわからずに 「助けて!」と思わず叫んでいる――その先にあるもの、その叫びが向かっている何か、究極的な、絶対的な何か、それが「神」なのである。 (太字原文ママ) 注1 「よかった」というのが、この文章を読んで、私の最初の反応だった。神はいつでもそこに存在している。人はそれを本性的に知っている。いずれかの宗教的信仰と関係なく。すべての人が、一人残らず、助けを必要とするときには、叫びをあげる相手がいる。自然本性的に神とつながっている。犯罪者であろうと、無神論者であろうと、である。本人は「神など」と言うとしても、私は「よかった」と思う。 次に思ったのは、祈りは私が考えるより単純なのではないかということだった。思わず「助けて!」と叫ぶときに、神と根源的に出会う。心の思いをそのまま神に向かって言うことにより神と出会う。とすると「祈り」は、七面倒くさいものではない。誰にも話せないわだかまりを心に抱えることがある。思いがモヤモヤして、言葉にできないこともある。それをそのまま神に話すこと=「祈り」なのであろう。 注1 「聖書の神観は現代の科学的世界観と、果たして、また、どのように、折り合うか」『宗教と文化 37号』、聖心女子大学キリスト教文化研究所、2021年。