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画家の目

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よく見るテレビ番組に「なんでも鑑定団」がある。絵画や陶器、ときにはバイクなどの鑑定を希望する人がその品物をもって登場し、専門家が鑑定をする。品物が本物だったり偽物だったり、予想・希望価格が当たっていたり、外れていたりで、楽しませてくれる。 先日の番組では、高島野十郎の絵をもってきた人がいた。番組では、まず作者の紹介をする。 ―――花一つを、砂一粒を    人間と同物に見る事          神 と見る事――― これが野十郎の心情であったと紹介されていた。 花一つ、砂一粒、人間を神と見る、というのは、信仰者の目である。万物は神によって造られ、その寫し姿である。私は信仰者だけれど、「目があっても見えず、耳があっても聞こえず」の種類で、そのような見方がいつもできているわけではない。画家の目は真髄をとらえている。 野十郎を象徴するモチーフは蝋燭だそうである。蝋燭の絵はすべて同じサイズで描かれている(22.7cm x 15.8cm )。 現在56点の存在が知られているとか。画寸以外はそれぞれが異なり、いずれも個人蔵。野十郎が大切な人へ感謝の気持を込めて一枚一枚手渡したらしい。 番組に出された作品は贋作で、鑑定額は¥5.000 だった。

思い違い

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食後のデザートにときどき小さなどら焼きが出てくる。直径5センチくらい。関西ではどら焼きのことをミカサ(まんじゅう)と呼ぶ。どら焼きの名は私にはドラ猫を連想させる。ミカサなら形も三笠山に似ているし、品もよい名前だ。 ずっとそんな風に思っていたが、ドラ焼のどらは銅鑼に由来するらしいことに最近になって気が付いた。銅鑼を二つ合わせた形なのだろう。どら焼きさま、失礼しました、だ。 私の属している修道院は、全体が介護施設になっている。食事はエブリフードという給食サービスに頼っている。

のど自慢の鐘

ときどきのど自慢をテレビで見る。さいきんの歌はほとんど知らないから、歌そのものというより、歌っている人が鐘二つかそれともキンコンカンなのか予想して、当たったり当たらなかったりするのを楽しんでいる。 少し以前になるが、のど自慢の鐘を鳴らす係だった人の話を放映していた。番組企画をする人から、次のように言われたそうである。 ――鐘を鳴らすさい、審査員から告げられる「鐘二つ」「鐘たくさん」という結果をただそのまま鳴らすだけでなく、「残念でしたね」とか「よかったですね」という気持を込めて、鐘を鳴らしてください―― 何かわかるような気がする。気持が込められた鐘の音は、ただ器械的に鳴らす音とは違うだろう。人間にしかできない、AI がとって代わることができない心の部分があるに違いない。

信仰心の種

「お腹の大きい静江さんが仏壇を二階へかつぎ上げた」祖母が何度もくり返した言葉だ。 阪神地方で洪水があった。私の家も床上浸水となった。私の母静江は当時20歳くらい。父は出勤していて、留守。そのなかで妊娠していた母が、仏壇を二階までかついであがったらしい。母が弟を妊娠していたのだから、私は2歳だっただろう。私はその状景を見ていないし、覚えてもいない。 「お腹の大きい静江さんが仏壇を‥‥」祖母が何度も言っていた言葉を思い出す。カトリックの洗礼を受けたのは、ずっと後のことになる。それ以前に、祖母から、母の行動から、私は見えない世界の大切さを心に刻まれたのではないかと思う。

豆知識

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「冷たい」は「爪痛し」が語源だという説がある。ここのところ寒さが厳しい。散歩に出て手袋をしないでいると、たしかに指先が痛くなる。 ジャガイモは、ジャカルタから来たことからの名だそうだ。馬鈴薯は、一説に、駅馬の鈴のように実がなることからとか。 以上、新聞記事で知って、なるほどと思った。

パソコン故障?!

きのうパソコンで作業が終わったから閉じようとしたら、閉じられない。スタート・ボタンをクリックしても、閉じられない。部屋を出て、パソコンに強そうな人に「助けて」と頼んでも、「専門家に頼んでください」とつれない。廊下をしょぼしょぼ歩いていたら、介護士さんが「どうかしましたか」と尋ねてくれた。「パソコンが‥‥」というと、「わからないかもだけれど、見てみましょうか」と言ってくれた。 いっしょに部屋に戻って、パソコンのところに行き、その人がスタート・ボタンをクリックしたら、ちゃんと反応した。「なぜ?」と、もう一度立ち上げてから閉じてもらった。私はアイコンの中央をクリックするが、その人はアイコンの下の部分をクリックしている。 介護士さんの親切がありがたかった。パソコンを使うには、遊び心も必要なのかも。 インターネットは有線でなく、Wi-Fiを使っている。Wi-Fiの会社から、新しい器種が送られてきた。電波が変わるので、2月から新しい器種になるとか。私には使いこなせないかも。びくびくしている。

自分を愛するように‥‥

「自分を愛するように、人を愛しなさい」という聖書の言葉がある。自分を愛しているかしら?このごろ疑問になっている。 ふりかえると、自己チューであるのは確かだ。甘いもの類がお皿にのっていて、人目がなければ、一番おいしそうで一番大きなものを選ぶ。自分が好きかと問われれば、「はい」とは言えない。せっかちで、気が短い。人格者でない、そんな自分が嫌いだ。 神さまは、どうだろう。イエスは「罪びとを招くために私は来た」と言われる。「人格者になれば愛してあげよう」ではない。こんな私をありのままに愛してくださる。それは私の信仰だ。イエスが望まれるのは、私がイエスにならって、ありのままの自分を愛することだろう。そうすれば、人をありのままに愛することもできるようになるのだろう。 「自分を愛すること」。新しい年に向かって、努力しよう。

クリスマスの祈り

天気予報では今日の最高温度は12度とか。暦によれば、今日は冬至。寒い日が続いているけれど、この日を境に日照時間が長くなると考えると、少しうれしくなる。 12月25日にクリスマスを祝うけれど、聖書のどこにもイエスがこの日に生まれたとは書いてない。民間宗教で祝われていた冬至祭が、4世紀半ばごろにキリスト教化されたらしい。光が、ぬくもりが広がり始めることを表象するからだろう。 イスラエル語で「こんにちは(=平和)」は、シャロームである。イエスが弟子たちと交わしたのも「シャローム」ではなかったか。 日本でも防衛費が膨らみ、武器を製造し、輸出し、アメリカから購入もしている。軍需産業が栄え始め、戦争前の気配がただよう。 どうか日本が戦争に巻き込まれませんように。世界に平和が来ますように。

八日間の黙想会に参加

12月2日夕から11日朝にかけて黙想会に参加した。指導してくださったのはイエズス会士の塩谷神父様だった。81歳の方で、参加した10名もほぼ全員80歳以上だった。 一日の スケジュールは、  9時半 講話(40分位)  10分後 聖体礼拝(30分間)  5時  ミサ という簡単なものだった。午後、希望者には面接時間があった。 黙想が終わってみると、神さまと向き合わせていただいた、という感じがする。これまでの私の祈り方は、たとえば「なんだか身近に感じられません。私の祈り方がおかしいのでしょうけれど‥‥」とか、ぐちゃぐちゃとしりすぼみになる。そうではなくて、「あなたを身近に感じさせてください」と、まっすぐに言えばいいのだと気づかされた。たぶん、これは塩谷神父の姿勢から学んだのだろう。言葉でそのようなことはおっしゃらなかった。 八日間が終わってみると、ヘトヘトになっていた。座っているだけなのに‥‥。来年はこの体力はないかもと思う。でも、一つのいい区切りをいただいた。

聖フィリピン・ドシェーンの祝日

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11月18日は聖フィリピン・ドシェーンの祝日である。この聖人については、以前2023年11月17日のブログに書いているので、ここには祝日を祝って、以前、シスター速水弥生がお書になった祈りをコピーする。  聖フィリッピン・ドシェーン、あなたの祝日を祝う私たちの心の中に、「心を開き、立って行け」という呼び声が聞こえるようです。かつてあなたの心に響いたと同じ呼び声が。  永遠から響くこの呼びかけは、あなたをアメリカの原住民ポトワトミの人々へとひきつけました。深い祈りの中で、この呼びかけをしっかりと受け止めたあなたは、住みなれた祖国、心地よい習慣、なつかしい家族や友人を離れて、未知の国へ、勇気と信頼と、貧しい者の信仰から湧き出るよろこびをもって向かわれました。  あなたのアメリカでの生涯は、忍耐と、自分の貧しさの中でのへりくだった信頼、何にもまして、主のみ声に従う者のよろこびと平安の、心のポトワトミへの旅だったと思います。  また、晩年、あなたは、深く愛したこの小さい人々から、「いつも祈っている人」と呼ばれました。「つかわされることは、主にとどまることである。」いつか聞いたこのことばは、あなたの祈る姿とともに、いつまでも私たちの心に残ることでしょう。  修道生活に呼ばれたとき、私たちは家庭を離れました。それは出合うすべての人々と家庭を作るためでした。あなたが自分の国を離れたのは、世界が自分の国になるためでした。自分を開け放って離れるとき、すべてがみ国になるためです。今、私たちは日本にいます。しかし、ただ日本にいるのでもありません。日本につかわされているのだと思います。今いる具体的なところ、そこにつかわされているのです。 ****** 聖フィリッピン・ドシェーン、あなたの取り次ぎを願って祈ります。 *私たちが、安楽や安住、現在手にしている安定への甘いいざないに乗ることなく、心の呼びかけに、勇気と信頼をもって応えていけますように。  (聖フィリッピン・ドシェーン、私たちのためにお祈りください。) *人がどう見るか、どう思うかでなく、また、この世の評価による事業の成功ではなく、深い祈りの中で心に響く、私たちのポトワトミへの呼びかけをしっかりと受け止めて、心を開いて今の自分から一...

ソフィーコースとは?

宝塚市に位置する小林聖心女子学院では、2026年4月から新しいコースが 現在の全日制高等学校に 併設される。ソフィーコースと名付けられる、狭域通信制過程である。案内のパンフによると、 ◦スクーリングは週1~2日 ◦登校時間は9時40分  ◦希望すればいつでも登校できる ◦職員が常駐している ◦最長6年間をかけて卒業できる(74単位の習得) などなど、もろもろの事情に配慮して、一人でも多くの若い人たちに教育の機会を広げようとする姿勢に嬉しくなる。私がすぐに思ったのは、起立性調節障害のある人が救われるだろうということだったが、そればかりではないらしい。コンサートや競技会で海外を飛び回る人や、ゆっくり時間をかけて学びたい人たちも利用できる。 聖心女子学院は、1800年にフランス人のマグダレナ・ソフィア・バラによって創立された。創立者の言葉に、「たった一人の子どものためにでも聖心会を創立したでしょう」がある。同じ精神を受け継いだ140校あまりの姉妹校は、世界30ヵ国以上に広がる。 小林聖心の新しいコースは、創立者の名にちなんで「ソフィーコース」と名付けられている。より自分に合った学び方を探している若い人たちに、新設のコースが役に立ちますように。

スーパームーン

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――11月5日の満月は今年12回ある満月のうちで最も地球に近く、そのぶん大きく見える。「スーパームーン」とも呼ばれる――と、6日になって聞いた。 遅まきだが、夜、屋上に出て見上げると、月がこうこうと輝いていた。餅をつくウサギの影など見られないほどだった。神さまが大空のキャンバスに描かれた芸術作品だ。