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生協さんのおもいやり

ここのところ、やらかす思い違いや失敗がふえている。きのうは、生協さんの配達の日だった。いつも12時半頃に来てくださる。私はお隣の共同体で一緒に昼食をするので、12時には家を出る。そのため前回の配達に使われた箱と注文書とを、玄関先に置いて家を出る。はずだった。 昼食を終わって家に戻ると、今週分の配達品が届いていた。それにメモが付いていて、「注文書が出ていませんでした。電話かWEBで注文できます」とあった。がっくり。電話だと何を注文したか忘れるかもしれないと思い、ネットでおっかなびっくり注文した。 午後3時ごろ、電話があった。いつもの配達員さんからで、「注文書が出ていませんでした。よかったら、これから取りに行きましょうか」と言ってくださった。『ご親切、ありがとうございます。WEBから注文しました。たぶん、できていると思います』「それじゃ、よかったです」『もし、できていなかったら、教えてください』と言って、電話を切った。 英語で A little kindness goes a long way. という表現がある。生協の配達員さんのご親切は私の心深くに入って、今日もまた、そのことを思い出すと、心がポカポカする。

歩け、歩け

メヌエル病が治まり、扁桃腺炎のため処方された薬も飲み終わった。が、頭と顔の左半分がしびれたような感じがする。手足は何ともないので、脳梗塞ではないと思ったけれど、心配なので脳神経外科へ行った。MRIの結果は異状なし。首のレントゲンの画像を見せながら、お医者さんの説明では、肩こりが原因とか。「マッサージがいいですか」とたずねると、「歩きなさい」との返事。 心配して電話をくださった方に話すと、肩こりは高血圧の原因にもなるから、長続きしない方がいい。いい整体師を紹介するから、行ってみませんか、と言われた。早く気分がよくなる方がいいから、早速行ってみた。今まで経験したことのないような施術だったけれど、体がほぐれた感じがした。整体師さんは、「1週間ほどで症状は治まると思いますが、もし続くようなら、また来てください」と言った。今日で、ちょうど1週間になる。 しびれはほとんでなくなった。これで治まるように、せっせと歩くようにしよう。

人+良=?

今朝、静岡FM放送がマスター(=専門家)として紹介したのは、保育所・幼稚園給食係の女性だった。26年間この仕事を続けているそうで、今年1月の保育所・幼稚園給食係全国コンテストでは、一位だったとのこと。5、6カ月かけて試作して、設定されていた金額110円(!)で完成させた「タラのから揚げ4色ミカンソースかけ」がレシピだったそうである。 「何がきっかけで、この仕事を始められたのですか」との質問に、「小学校の時、家庭科の先生が『食という字は人+良からなっています』と話されたのを聞いて、食べ物に関係する仕事をしたいと思うようになりました」と言っておられた。 このような人がいる。プーチンばかりでない世の中が、少し明るく見えた。 料理を面倒に思い、なるだけ手抜きをしたい私は、少し改めなくちゃ、と思った。

シスターの置き土産

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6月2日、シスターTが帰天した。若いころ、天草の修道院では、100人をこえる幼稚園の子どもたちの制服を縫った。東京の修道院に移ると、大勢の寄宿生たちのため食事を作った。裾野修道院でも、寄宿生のためのキチンで働いた。口下手で口数の少ない人だったけれど、骨身惜しまず働く人だった。足が弱ってきてからは、台所で椅子に座って、野菜の下準備とかをしていた。 シスターの楽しみの一つが、植木を育てることだった。大切にしていた植木に、月下美人がある。初夏の夜、暗くなると白い花が開き始め、いい香りを放つ。11時ごろに満開になり、朝にはしおれてしまう。彼女が体調を崩し、静岡県内の修道院から東京の病室に移ることになった時、月下美人の鉢4つほど、残していった。こちらの修道院のシスターが引き取って、世話を続けていた。 1ヵ月ほどまえ、「シスターTの病状が悪くなっています。お祈りください」という知らせが来た。そのころ、鉢の一つが蕾を付け、朝になると、赤い花が開いた。まだ花をつけたことがない月下美人だとばかり思っていた苗木が、初めて日中に花をつけ、それが赤いので、私たちはびっくりした。 シスターの葬儀が終わって2,3日して、また赤い花のつぼみが開いた。シスターが、「私は大丈夫だよ」と言ってくれているような気がする。

聴力と年齢

ここのところ、左耳の具合がおかしい。聞こえが悪いのは年のせいだろうが、 紙が一枚かぶさっているような感じがする。思い立って、耳鼻科医院に行った。聴力検査のほか、いろんな検査・診察のあと、お医者さんの説明があった。メヌエール病とのこと。「聞こえが悪いのは、年のせいじゃないのですか」と言うと、お医者は「高齢になると、高い音から聞こえなくなる。あなたは高い音は聞こえている。中間の音が聞こえていない。左だけでなく、右も同じような状態。目まいはしませんか」 メヌエール、えーっ!という感じだ。目まいは意識していなかった。でも、そう言われれば、ふらっとすることが度々あった。 変な味のジュースのような飲み薬のほか、2種類の薬を飲みながら、早く治るの待っている。何でも年のせいにしては危ないことを学んだ。

ブナの木の癒し

今朝も朝ごはんを食べながらFM静岡放送を聞いていた。ちょうど何かを専門とする人(番組ではマスターと呼ぶ)とDJとの会話の時間で、マスターは「ブナの木と語る会」の会長だった。プロのギターリストとして活躍中の29歳のとき、指のけがでギターが弾けなくなった。絶望のどん底にいたとき、近くにあったブナの木に触れた。「その時の体験を言葉にできないのですが…。生きる力をもらいました」 それ以来、天城のブナの林に人々を案内する活動をしているとのこと。天城のブナ林は国有地で、伐採されそうになった時期には、地域で反対運動をして、伐採を食い止めたそうである。 子どもの頃、駐留軍の子どもたちと野球をしたりして英語を憶えた。それを基礎に上達した英語を教えて収入を得ながら、ブナの癒しを紹介している。経済的には楽ではないが幸せです、と話しておられた。 若い人たちも活動に加わっているそうで、頼もしい。

松の子ども

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私の住んでいるところの近くに、芝生の広場がある。真ん中に松の木が立っている。ときおり、そこへ散歩に行く。先日、散歩していたら、10センチにもならない松の木が3,4本生えているのを見つけた。松の木の種がこぼれて芽を出したのだろう。そのままにしておくと、芝の整備のときに刈り取られてしまう。なんだかかわいそうな気がして、翌日、スコップをもって行き、1本を抜き取ってきた。鉢に植えて、窓の外に置いた。 7センチくらいの松の子どもは、どんな風に成長するのだろうか。大きくなれば地面に移しかえるつもりだが、見届けられるかしら。

食欲と人の声

朝の食事を私は一人で食べる。ここのところ、静岡FM放送を聞きながら食べている。私のラジカセが簡単にキャッチしたので、聞き続けている。私が聞く時間帯では、おもにDJが県内の専門家(番組ではマスターと呼ぶ)との会話をしている。マスターは、例えば、餅菓子屋さん、運動具店主、お弁当屋さん、ゴルフのインストラクター、などなど。テーブルの上に、お茶碗、梅干し、納豆などを並べると、つぎにラジオのスイッチを入れたくなる。偶然にNHKのアサイチで聞いた情報で、こんな自分の日常を、なるほど、と思った。 一人で食事をしている場合、以下の4つの状況のうち食欲が出るのは以下のいずれか。心理学者が実験した結果を紹介していた。 人の画像―ーなし:人の声ーーなし 人の画像ーーなし:人の声ーーあり 人の画像ーーあり:人の声ーーなし 人の画像ーーあり:人の声ーーあり 食欲を助けるのは、2と4だそうである。画像のあるなしはあまり関係がない。音楽も関係がないとのこと。人の声が食欲を助けるそうである。 dj

小さな幸せ

目覚まし時計は6時に設定している。目覚ましが鳴ると、ベッドの中でグズグズしていられない。すぐに起き上がり、着替えをして、顔を洗わないと、6時25分のテレビ体操に間に合わない。 いつもは目覚ましが鳴るまで眠っているのだけれど、今朝はどうしたことか、その前に目が覚めた。時計は5時35分。あと25分はベッドの中でグズグズできると思うと、なんだかとても嬉しかった。今朝の 小さな 幸せである。

カラスのねらい?

2週間ほど前のことになる。ガタンガタンの音で目が覚めた。私の住んでいるところでは、夜になると鹿やイノシシがうろつく。庭の木の若葉は、鹿の頭が届くところまで裸になる。地面は、イノシシがミミズでも探すためか、ボコボコと穴があいている。 私は2階で寝ている。鹿かイノシシでも来ているのだろう。そのうちに音も止むかとしばらく待ったが、いつまでも続く。懐中電灯で照らせば、逃げるだろうと思い、懐中電灯を手にカーテンを開けた。とたん、目の前からカラスが飛び立った。時計を見たら3時35分だった。薄明りになっていたが、まだ夜明け前である。 部屋の窓の外側には、落下防止のためか、幅30センチ、高さ30センチほどの柵が張り出ている。そこに、小さな赤いシクラメンの鉢を置いていた。直径10センチ位の小さなプラスチックの鉢で、陶器の受け皿にのせていた。カラスが飛び立ったあとを見ると、花の鉢はさかさまになっている。プラだから、音を立てたのはこちらではなく、受け皿の方である。この皿を持ち上げたり落としたりして、音を立てていたのだろう。 カラスは空き缶を転がしたり、くわえた小石を落としたりして、音を立てて遊ぶ。でも、薄明りのとき、いったい何をしに窓辺まで来たのだろう。音を立てるためだけなら、家の周りにいくらでも鉢や石がある。私をねらったのかしら。カラスは頭がよくて、巣をこわしたりすると、その人を憶えていて、攻撃してくると聞いたことがある。私はそんなことをした覚えはない。なぜだろう。 一つ、思いあたるのは、私は散歩しているとき、カラスの鳴き声を聞くと、真似をする。「カア、カア」に対しては、「カア、カア」。「カア、カア、カア、カア」とくれば、「カア、カア、カア、カア」といった具合に。(近くに人がいるときは、しないけれど。)とくに意図はない。どちらかというと、私はカラスが好きで、親しみみたいなものがあって、そうする。それを感じ取ったカラスがいたのだろうか。 そういえば、その2,3日あとも、こんな出来事があった。私は毎朝7時ごろ、ミサや朝の祈りのために家を出る。その日、家の玄関を開けた途端、「カア、カア」と聞こえた。鳴き声の方を見ると、目の前に広がる茶畑の向こう、ちょうど私の真向かいに立つ木のてっぺんにカラスがいた。私も「カア、カア」と返事した。 今朝もまた、同じことが起こった。 友達ができたようで、嬉しい。

服から服へ

アパレル企業が廃棄する服、個人の不要になった服を回収する。その中のポリエステル100%のものを集め、染料や不純物を除くと、純粋なポリエステルを取り出すことができる。それを新しい服の作成に使う。このようなプロジェクトを始めた企業があり、内外の関心をあつめている。今朝、テレビが報じていた。 廃棄される服の焼却に使う燃料がいらない、焼却によるCO 2 を出さない、ポリエステルが無駄にならない、などなど。いいことずくめである。 「もったいない」の表現をもつ日本人は、このようなタスクに長けるのではないだろうか。焼却してしまうものが、もっともっと減りますように。

谷内六郎館に行った

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谷内六郎について書いた私のブログを読んだという人から、電話をもらった。「谷内の作品が大好きで、なんどか彼の展示館を見に行きました。行ったこと、ありますか?」と尋ねられた。私は展示館のあることも知らなかった。「それじゃ、そのうちにお連れします」と言ってくださった。 先日それが実現した。横須賀市の南東、海に面した丘に横須賀美術館があり、その一部が谷内六郎館になっている。美術館の前に広がる海の先に、房総半島が見える。私の住んでいるところから車で2時間ほどで到着した。 谷内六郎館には、彼の作品の一部50点ほどが展示されていた。右は「夕焼を消す人」いうタイトルの絵である。この絵を見ていると、夕焼がただの自然現象ではなくて、さまざまな想像を広がらせた子供時代を思い起こさせる。その郷愁から、固定概念から離れた世界に、知らずして連れていかれる。 「おとなは子どもの内部に入りこんでその原始のエネルギーを与えてもらうしかないようです」と谷内は言っているそうである。彼の絵は、そのエネルギーを媒介してくれる。 すてきな一日であった。新緑を見ながらのドライブ、久しぶりに見る海、谷内の絵の数々。いっぱい心に残ったが、なによりもこんな一日を作ってくださった方のご親切が、一番心に残った。40数年前の教え子さんである。