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韓国版「おしん」=「馬医」

1時間以上のものは見ない、字幕のものは見ない、とTV番組について決めている。目が疲れるためである。でも、はまってしまい、1時間ではあるが字幕付きの韓国ドラマ「馬医」を見てしまった。50回の連続ドラマで、7月20日が最終日になる。17世紀の李王朝が舞台で、当時軽蔑されていた身分の獣医が王の主治医になるまでを描く。実在した人物がモデルだそうである。 「面白い」と韓国通の知人に話したら、「おしんに人気があったのと同じでしょ」と言われた。誰しも大なり小なり困難を抱えている。ドラマと分かっていても、困難を乗り越えていく人を見ながら、自分もがんばる力をもらうのだろう。 それもあるが、ほかに時折、ハッとさせられることがある。たとえば、王女の病気について、主人公が王に治療法を説明する。その治療法で成功した例があるのか、と王に尋ねられ、主人公は「これまで50頭以上の牛で成功しています」と答える。「王族と牛を並べるのか」と激怒する王を、そばにいた重臣が「彼にとって、王女様の命も牛の命も同じ命なのです」となだめる。この場面を見て、私は動物の命を一段下に見ていたことに気づかされた。 今日がこのドラマの最終日である。ちょっとさびしくなる。   

縁をつなぐ学長マザー・ブリット

聖心大の学長だったマザー・ブリットの秘書を2年近く務めていたとき、息子の結婚相手の紹介を願うお母さんのため通訳をすることが一度ならずあった。大学初期の卒業生の中では、マザーの取りもたれた縁で結婚した方が何人かいらっしゃるだろう。 つい先ごろ、90歳になる方の話を聞いた。マザーから紹介されてある修道会に入会したという。半世紀以上前のことになる。大学4年生で卒業まじかのころ、マザーに呼ばれ、”Sisters came from Kyoto."と言われて、アメリカから来たばかりの2人のシスターを紹介された。京都で新しく修道院を開こうとしているシスターたちだった。京都出身で、卒業後はシスターになることを希望していた彼女は、すぐにその修道会に入ることを願い出た、と話しておられた。その学生が京都出身で、将来は修道女を目指していることを知らなければ、こんな縁結びはできなかっただろう。当時、大学の総学生数は500人くらいだった。 マザーは学者というよりも、優れた教育者だった。講義としては、1年次、2年次にはEthics(=倫理)、4年次にはCurrent Events(=時事問題)を教えられた。そのほかに、歩き方、年上の方に対する礼儀、ドアの開け閉めの仕方、などなど生活面についても、細かく指導された。昼休みの時間にGeneral Assembly と称して全学の集まりがあり、そのときに生活指導をされた。 私自身がマザーから教わったもっとも大きなことは、祈りである。私の在学当時、寄宿生は全員、朝6時半のミサ出席が義務だった。その前の15分間、希望者15、6人が1教室に集まった。マザーがイエスの生涯の1場面などを取り上げ、それを祈るように導かれた。願いごとをする祈りだけでなく、イエスと語り合うことを学んだと思う。イエスとの縁を結んでいただいた。

マイ脱原発

5月19日付の朝日新聞朝刊は、東京電力福島第一原発の処理水を海洋放出することを、原子力規制委員会が了承したことを報じている。 どう考えても、地球汚染としか考えられない。水俣病のときのように、被害者を出さない保証が、どこにあるのか。 汚染された地球を、私たちは未来の人たちに残したいのか。 絶対に反対だけれど、私にはこれを止める力がない。反対する署名運動が今も続けられており、署名はした。でも、そんなものは無視されるだろう。憤懣やるかたない、という感じのときに、ぐうぜん、稲垣えみ子著「淋しい生活」を読んだ。元朝日新聞の記者であった稲垣さんが、福島第一原発の爆発を機に何かをしなくては、と思い立ち始めた「個人的脱原発計画」について書かれている。 掃除機、レンジ、エアコン、冷蔵庫を捨て、電気代を月150円にまでされた。 「私も始めよう」と思った。稲垣さんほど徹底できなくても、私にできることがある。冷蔵庫なしにはできないけれど、詰め込みすぎないようにすれば、 消費 電力は減る。レンジもやめられない。でも、なるだけガスを使うようにできる。エアコンは、私の住んでいる家には応接室にしかない。夏は扇風機、冬はオイルパネル・ヒーターを使っている。掃除は、稲垣さんの真似をしてほうきを使ってみると、ずっと手軽である。そのあとモップをかける。これらが、今のところの、 私の原発反対運動だ。 それにしても、もっと自然のエネルギーが使えるようにできないのだろうか。風力、水力、太陽光など。

カラスの子ども

きのう、ミサに行くため、聖堂のある建物に向かって歩いていると、「カア、カア」と鳴き声がした。見ると2羽のカラスが屋根の上にいた。1羽は大きく、もう1羽は小さい。大きい方が、くちばしで小さいカラスの毛づくろいをしてやっている。 ここしばらく鳴きかけてくるカラスを見かけなかった。その間に、ひなが生まれ飛べるようになったのだろうか。もしかして、子どもを見せに来てくれたのではないか。などと、独りよがりで嬉しくなっている。

植物と連動?

母の日にカーネーションの鉢をいただいた。長持ちさせたくて、水をやり、花は枯れる寸前に切り落としていた。そのうちに気が付いたら、花は一つもなく、つぼみだけになっていた。水は適当にやっていたが、つぼみはいつまでも開かない。花の時期が終わったのかな、と思っていた。ところが、2、3日前からつぼみの先が赤くなり始め、今日は花が開いた。私が元気を取り戻し始めると、カーネーションが咲き始めた。 それで思い出した。私の2度目の母(実の母がなくなって後、父が再婚した相手)は、くちなしの花が好きだった。引っ越しをしたとき、以前の家にあったくちなしの木も移し植えた。その母が亡くなると、間なくしてくちなしの木が枯れてしまった。 植物と人間――つながりがあると思っていなかったが、実はつながっているのではないか、と思わせられた。農家の方にとって、こんなことは当たり前なのかもしれない。

生協さんのおもいやり

ここのところ、やらかす思い違いや失敗がふえている。きのうは、生協さんの配達の日だった。いつも12時半頃に来てくださる。私はお隣の共同体で一緒に昼食をするので、12時には家を出る。そのため前回の配達に使われた箱と注文書とを、玄関先に置いて家を出る。はずだった。 昼食を終わって家に戻ると、今週分の配達品が届いていた。それにメモが付いていて、「注文書が出ていませんでした。電話かWEBで注文できます」とあった。がっくり。電話だと何を注文したか忘れるかもしれないと思い、ネットでおっかなびっくり注文した。 午後3時ごろ、電話があった。いつもの配達員さんからで、「注文書が出ていませんでした。よかったら、これから取りに行きましょうか」と言ってくださった。『ご親切、ありがとうございます。WEBから注文しました。たぶん、できていると思います』「それじゃ、よかったです」『もし、できていなかったら、教えてください』と言って、電話を切った。 英語で A little kindness goes a long way. という表現がある。生協の配達員さんのご親切は私の心深くに入って、今日もまた、そのことを思い出すと、心がポカポカする。

歩け、歩け

メヌエル病が治まり、扁桃腺炎のため処方された薬も飲み終わった。が、頭と顔の左半分がしびれたような感じがする。手足は何ともないので、脳梗塞ではないと思ったけれど、心配なので脳神経外科へ行った。MRIの結果は異状なし。首のレントゲンの画像を見せながら、お医者さんの説明では、肩こりが原因とか。「マッサージがいいですか」とたずねると、「歩きなさい」との返事。 心配して電話をくださった方に話すと、肩こりは高血圧の原因にもなるから、長続きしない方がいい。いい整体師を紹介するから、行ってみませんか、と言われた。早く気分がよくなる方がいいから、早速行ってみた。今まで経験したことのないような施術だったけれど、体がほぐれた感じがした。整体師さんは、「1週間ほどで症状は治まると思いますが、もし続くようなら、また来てください」と言った。今日で、ちょうど1週間になる。 しびれはほとんでなくなった。これで治まるように、せっせと歩くようにしよう。

人+良=?

今朝、静岡FM放送がマスター(=専門家)として紹介したのは、保育所・幼稚園給食係の女性だった。26年間この仕事を続けているそうで、今年1月の保育所・幼稚園給食係全国コンテストでは、一位だったとのこと。5、6カ月かけて試作して、設定されていた金額110円(!)で完成させた「タラのから揚げ4色ミカンソースかけ」がレシピだったそうである。 「何がきっかけで、この仕事を始められたのですか」との質問に、「小学校の時、家庭科の先生が『食という字は人+良からなっています』と話されたのを聞いて、食べ物に関係する仕事をしたいと思うようになりました」と言っておられた。 このような人がいる。プーチンばかりでない世の中が、少し明るく見えた。 料理を面倒に思い、なるだけ手抜きをしたい私は、少し改めなくちゃ、と思った。

シスターの置き土産

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6月2日、シスターTが帰天した。若いころ、天草の修道院では、100人をこえる幼稚園の子どもたちの制服を縫った。東京の修道院に移ると、大勢の寄宿生たちのため食事を作った。裾野修道院でも、寄宿生のためのキチンで働いた。口下手で口数の少ない人だったけれど、骨身惜しまず働く人だった。足が弱ってきてからは、台所で椅子に座って、野菜の下準備とかをしていた。 シスターの楽しみの一つが、植木を育てることだった。大切にしていた植木に、月下美人がある。初夏の夜、暗くなると白い花が開き始め、いい香りを放つ。11時ごろに満開になり、朝にはしおれてしまう。彼女が体調を崩し、静岡県内の修道院から東京の病室に移ることになった時、月下美人の鉢4つほど、残していった。こちらの修道院のシスターが引き取って、世話を続けていた。 1ヵ月ほどまえ、「シスターTの病状が悪くなっています。お祈りください」という知らせが来た。そのころ、鉢の一つが蕾を付け、朝になると、赤い花が開いた。まだ花をつけたことがない月下美人だとばかり思っていた苗木が、初めて日中に花をつけ、それが赤いので、私たちはびっくりした。 シスターの葬儀が終わって2,3日して、また赤い花のつぼみが開いた。シスターが、「私は大丈夫だよ」と言ってくれているような気がする。

聴力と年齢

ここのところ、左耳の具合がおかしい。聞こえが悪いのは年のせいだろうが、 紙が一枚かぶさっているような感じがする。思い立って、耳鼻科医院に行った。聴力検査のほか、いろんな検査・診察のあと、お医者さんの説明があった。メヌエール病とのこと。「聞こえが悪いのは、年のせいじゃないのですか」と言うと、お医者は「高齢になると、高い音から聞こえなくなる。あなたは高い音は聞こえている。中間の音が聞こえていない。左だけでなく、右も同じような状態。目まいはしませんか」 メヌエール、えーっ!という感じだ。目まいは意識していなかった。でも、そう言われれば、ふらっとすることが度々あった。 変な味のジュースのような飲み薬のほか、2種類の薬を飲みながら、早く治るの待っている。何でも年のせいにしては危ないことを学んだ。

ブナの木の癒し

今朝も朝ごはんを食べながらFM静岡放送を聞いていた。ちょうど何かを専門とする人(番組ではマスターと呼ぶ)とDJとの会話の時間で、マスターは「ブナの木と語る会」の会長だった。プロのギターリストとして活躍中の29歳のとき、指のけがでギターが弾けなくなった。絶望のどん底にいたとき、近くにあったブナの木に触れた。「その時の体験を言葉にできないのですが…。生きる力をもらいました」 それ以来、天城のブナの林に人々を案内する活動をしているとのこと。天城のブナ林は国有地で、伐採されそうになった時期には、地域で反対運動をして、伐採を食い止めたそうである。 子どもの頃、駐留軍の子どもたちと野球をしたりして英語を憶えた。それを基礎に上達した英語を教えて収入を得ながら、ブナの癒しを紹介している。経済的には楽ではないが幸せです、と話しておられた。 若い人たちも活動に加わっているそうで、頼もしい。

松の子ども

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私の住んでいるところの近くに、芝生の広場がある。真ん中に松の木が立っている。ときおり、そこへ散歩に行く。先日、散歩していたら、10センチにもならない松の木が3,4本生えているのを見つけた。松の木の種がこぼれて芽を出したのだろう。そのままにしておくと、芝の整備のときに刈り取られてしまう。なんだかかわいそうな気がして、翌日、スコップをもって行き、1本を抜き取ってきた。鉢に植えて、窓の外に置いた。 7センチくらいの松の子どもは、どんな風に成長するのだろうか。大きくなれば地面に移しかえるつもりだが、見届けられるかしら。