投稿

最大の社会貢献とは?

「自分へのダメ出しをやめると、自分だけでなく他者や社会にも優しくなれます。だから最大の社会貢献は、自分と親密になることなのです。」 一緒に住んでいるシスターが「ちょっと面白そうだから買ってきた。まだ読んでないけれど、先にどうぞ」と、貸してくれた本からもらったメッセージ。題名は『なぜか惹かれる人の話し方100の習慣』(藤本梨恵子著、明日香出版社)。 自分へのダメ出しをやめ、あるがままの自分も受け入れることで自他ともに愛することができる、という著者のことばは、聖書の「自分を愛するように、人を愛しなさい」という言葉を思い出させる。自分を愛さなければ、人を愛することはできない。そのためには、自分へのダメ出しをやめることを著者はすすめる。 また、完璧主義から適当主義になりリラックスして本領を発揮する、心が引き潮のときは一人の時間をもって英気を養うこと、などなど具体案を提示している。 教わることがたくさんあった。

子どもの視点

イメージ
8月19日の朝日新聞朝刊にのっていた記事に笑ってしまった。鷲田清一さんが選ばれる文章はいつも秀逸だ。それもあらゆる文書から選ばれる。  

残暑お見舞い

イメージ
  右画像のような残暑お見舞いのはがきをいただいた。カラスと坊やがおしゃべりしている感じがする。カラスはいかにもいたずらっこぽい。 ずっといぜん、下町に住んでいたことがある。家々が連なり緑が全くない。緑を探して歩いていたら、木々が茂るお寺を見つけた。お寺裏の墓地をうろついてたときに見た光景を思い出した。 カラスが、プルトップ缶の開口部分をくわえ、そのまま2メートルほど飛び上がり、そこから落とす。石畳みの上に落ちた缶がカラカラと音を立てる。またくわえて飛び立ち、落とす。それを繰り返していた。音を楽しんでいたのだろう。ガーコと出会うずっと以前のことである。 このはがきは今も私の机の上に置いたままである。スヌーピーのぬいぐるみと並んで。

坊やから神父へ

ミサに毎土曜日夕方来てくださっていた神父が、移動になって来られなくなっていた。だいたい、どこの教会でも土曜夕はそこでのミサがあるから、こちらに来ていただくのはむつかしい。困っていたところ、葛西教会から連絡をいただき、「行きましょうか?」とのこと。8月になってから葛西から若手のフィリピン人のチャーリー神父がミサに来てくださっている。日本語もペラペラ。葛西から渋谷区広尾まで、たとえ車を使うとしても、けっこうな距離だ。本当にありがたい。 チャーリー師が来てくださるようになって分かったことなのだが、葛西教会の主任神父は柴田とおっしゃる。食事のとき同じテーブルのシスターが、「かわいい、かわいい柴田君」とか言う。シスターが若いころ名古屋で働いていたとき、教会でみんなに可愛がられていた坊やだったという。 葛西は外国人労働者の多い地域だと聞く。柴田神父もチャーリー神父も、ともにアウグスチノ修道会に属しておられる。教皇レオ14世と同じ会である。恵まれない方たちのために働こうと、この地区を選ばれたのだろう。

新しい洗濯機

ときどき動かなくなる洗濯機をだましだまし使ってきたけれど、ついに動かなくなった。いつ購入したのか記録が残っていないから、たぶん、いまの共同体が始まって以来のものだろう。ということは、2001年か。去年私の部屋のエアコンが動かなくなり、とりかえになったが、そのとき2001年の機種だったとわかった。たぶん、洗濯機も同じくらいのものだろう。 新しく来た洗濯機は以前のより少し小ぶりである。でも容量は5キロとある。以前のものは4,5キロだった。使い始めておどろいたのは、25分くらいで洗濯が仕上がることだ。これまでは50分かかっていた。電気や水の使用量も少ないに違いない。また洗濯が終わったあと、洗濯槽内の糸くず袋に入っているごみが少ない。衣類の傷みも少ないのだろう。 新洗濯機さまさま、である。

脳はなにげに

イメージ
いぜん友人が貸してくれた『脳はなにげに不公平』という本を読んで、一つだけ覚えていることがある。私たちが嬉しいときや笑っているときには、くちびるの両側(=口角)が上がる。明るい気持ちでないときでも、口角を上げると、脳がだまされて、嬉しい気分になるという。 私が自分で気づいたのは、笑顔を見ると、こちらも笑顔になることだ。だからというのでもないのだけれど、いぜんから私はスヌーピーの漫画が大好きだった。それで最近、スヌーピーのぬいぐるみを手に入れた。18センチくらいの大きさのものを、机の目の前においている。チャーリー・ブラウンの嬉しげな顔がふと目に入ると、ニヤッとなる。たかがぬいぐるみだけれど、笑顔は笑顔を呼ぶ。

ことばの違い

先日、半世紀以前に教え子さんだった方たち数人とおしゃべりに花を咲かせた。「シスターは以前、パーラーのことをお客間とおっしゃいました」と一人が言った。そのことは覚えていなかったが、私が「運動場で‥‥」と言ったら、「えーー、グラウンドでーーす」と返されたことはよく覚えている。 私が大学に入学したとき、生活指導のシスターが「 オヒノシ をお部屋でお使いになってはいけません」とおっしゃったとき、私もエーーと思った。アイロンのことだろうと想像はしたけれど。 入学して2週間はオリエンテーション・ウイークだった。構内案内、図書館の使い方などなどのほか、聖歌練習もあった。聖歌練習のとき、指導のシスターが「復活したキリストに弟子たちが出会ったことを歌う聖歌です」といって、その物語を話された。 ――イエスが十字架上で亡くなり、悲しみ失望した弟子たち二人がエルサレムから逃れてエマオに向かっている途上、復活したキリストに出会います。「主よ、どうぞ私たちとともにとどまってください」と願うのが、ラテン語の歌詞の意味です。――  1953年当時、聖書を直接読むことは許されていなかった。「イエス伝」とか「キリスト物語」とかしか知らなかった。ましてやキリストの復活についての話とかは、それまで知らなかったように思う。 Mane nobiscum, Domine という歌が、心に沁みた。今も大好きな聖歌である。入学まもないころで4月だから、復活節でもあっただろう。

さりげなく

建物の入口の前で折りたたみ傘をたたもうとして、もたもたしていた。前を通りかかった若い女性がすっと近づいてきて、傘を手に取り、たたんでくださった。「ありがとうございます」とは言ったものの、その方の動作のさりげなさに驚かされた。 私だったら?と思わずにいられなかった。大きなことだったら、何かできることならと近づかずにいられなかっただろう。ささいなことだけに、見知らぬ人に近づき、その持ち物に手を出す前にあれやこれや考えるだろう。その2,3秒のあいだに、問題は解決してしまっているかもしれない。 温かい心遣いは、私の心にホンワカとしたぬくもりを残してくれた。2,3日前のできごとなのに、今も忘れられない。

子どもの心

         いのちさんへ          いつもぼくのために    やすまずうごいてくれて    ありがとう    いのちさんこれからも    がんばってください    きみのおかげで    いまもいきています          ( 小2) 小学2年生の男の子の「いのちさんへ」という上記の詩に驚かされた。子どもの詩を集めた『ことばのしっぽ』という本で見つけた。小学2年生にもなればいのちについて書けるのだ。私は自分がいのちに生かされていること、またそれに感謝することを考えもしなかった。    おとうちゃんは    カッコイイなぁ    ぼく おとうちゃんに    にてるよね    大きくなると    もっとにてくる?    ぼくも    おとうちゃんみたいに    はげるといいなぁ          (小1) 「お父ちゃん大好き」というタイトルの詩は、お父ちゃんへの愛にあふれている。フフフと笑いながら、大人の価値観と関係がないことにハッとする。 

♪愛のわざ♪

私の属している修道院は全員がなんらかの介護を必要としている。毎週木曜にはコロンバン会の神父がミサに来てくださる。その他の日は集会祭儀をする。集会祭儀とは「ミサもどき」と呼んだりするが、ミサの式次第を使って、司祭ではない者が司会をする。聖体拝領は聖櫃(せいひつ)に安置してあるご聖体を、司会者が一人ひとりに配る。 ここのところ暑くなってきて、私たちが集まる小聖堂も冷房を入れている。私は冷えから腸閉そくに3度なったこともあり、冷房を避けて聖堂の入り口近くの外側に、スツールを置いて座っている。 きのうのことだった。聖体拝領のため中に入った。司会者の人がすでに中にいる人たちに聖体を配っている。入り口近くに遠慮がちに立っていると、中にいた一人のシスターが司会者の人に私を指さしてくれた。 93歳になるその人は、脳こうそくの後遺症で歩行器を使っていて、認知障害もある。その人のこのような細やかな心遣いに驚きもしたが、胸がポカポカした。    ♪愛のわざはちぃさくても     神のみ手がはたらいて     悩みの多い世の人を     明るくきよくするでしょう♪ この讃美歌を思い出すできごとだった。

世界一のはさみ

TV番組「YOUは何しに日本へ」をよく見る。番組の記者が、成田空港や関西空港に到着する外国人に「YOUは何しに日本へ」とたずねる。どんな目的、どんな興味で日本に来たのか答えるYOUたちから、これまで知らなかった日本を教わる気がする。 先日見た番組で心に残ったのは、デンマークの男性美容師さんだった。ヘアカット用ハサミは日本のものが最高級だとのこと。切れ味がよく鈍(ナマ)りにくい。日本刀を作っていた伝統が残っているのかもしれない。燕三条の製造工場まで行って、職人さんが刃を研磨する過程など、 ハ サミの製造過程を見せてもらっていた。社長さんは工学博士だった。ハサミを2本買って、大喜びであった。 「YOUは何しに日本へ」が放映される時間にテレビが見られるわけではないので、私はパソコンでTVerを使う。 テレビ配信サービスで、民放テレビ局で放送された番組を放送がおわってからも一定期間内無料で見ることができる。 この文章を書いていて、Tver ではなく、TVer だと気づいた。表記はどちらでもいいのだろうけれど、TV(=テレビ )の文字が入っていることに気が付いた。

思いだす

祈っているときに心に浮かぶことがある。いろいろあるけれど、人を傷つけたことが心をよぎり、辛いことがある。取り返したり、やり直したりできない。悲しくなる。祈りのなかでお詫びを言って、その人のために祈る。 さいきんつぎのような遠藤周作の言葉に出会った。 「ひとつだって無駄なものはないんです……ぼくが味わった苦しみ、ぼくが他人に与えた苦しみ…‥ひとつだって無駄だったものはないんです」 「他人に与えた苦しみ」が無駄でないことがあるだろうか。それを思い出すとき、「許してください」と今は直接に伝えられない場合、神さまを通して届ける。神さまに向かうきっかけになっている。年を取るにつれて、思い出すことも増える。申し訳ない思いは、無視するのではなく、鬱になるのでもなく、大切に受け止めたいと思う。 今日は聖霊降臨の祝日である。カトリック教会では、聖霊の賜物には7つ、実(ミ)が12あるとする。    賜物=上知、聡明、賢慮、勇気、知識、孝愛、主への畏敬   実= 愛、喜び、平和、忍耐、寛容、親切、善意、謙譲、誠実、柔和、節制、貞潔 私たちの修道院では、この日に聖霊の賜物と実(ミ)を印刷したカードを各人が引く習慣がある。今朝私が引いたのは、賜物は「賢慮」、実(ミ)は「平和」だった。どちらも必要としている実感がある。