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コルベ神父と日本

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何年も前のことになるがアメリカに住んでいた時、一人のシスターがコルベ神父の大のフアンだった。マキシミリアン・コルベが本名だけれど、彼のことをマックスと呼んで、「マックスに頼めば、なんでも望みをかなえてくれるよ。駐車スペースまで見つけてくれる」と言って、彼の像のはがきサイズのカードをくださった。 私がコルベ神父について知っていたのは、アウシュヴィッツで処刑されようとしていた人の身代わりに飢餓房に入ることを申し出た人ということだった。 シスターを信じて、困ったときにはマックスのカードを取り出してはお願いをしていた。いつも助けられた。 修道院の談話室には新聞などを置くテーブルがある。2024年9月号の「聖母の騎士」という冊子をぐうぜん手にして、この冊子がコルベ神父によって創刊されたことを知った。コルベ神父が日本にいた!!! 神父は1930年4月に4人の仲間たちと長崎に到着している。日本人の留学生との出会いがきっかけであったらしい。5月には、日本語活字で「聖母の騎士」第1号を1万部発行した。1936年5月、修道院長に選ばれ、ポーランドに帰国する。ポーランドがナチスにより占領され、反ナチスとみなされて1941年逮捕され、アウシュヴィッツ収容所に入れられた。その後は、私も知っている。 「コルベ神父って日本にいたのだって」 食事の時のおしゃべりで私が言ったところ、 「知らなかったの?」 とあきれられた。

天地創造と母マリア

 8月22日(木)は天の元后聖マリアの祝日だった。夕方にミサのために来てくださった神父が、 「神学校で習って覚えていることが二つあります」 と、ユーモアを交えて話された。 「神さまは天地を創造なさった。しかし、救うことはできなかった」 マリアさまがイエスの母になることによって、救いがもたらされた、という意味だった。そうだなと思う一方、私もそうなのだ、と心のなかで思った。神さまは何かの目的のために私をこの時、この場においてくださった。私が私なりに生きることによって、天地創造が完成されていく。私ばかりでなく、すべての人にとってもそうなのじゃないか、と思った。

望みあれば

元気なころ、シスター○○は毎日のように自分の部屋のもよう替えをしていた。小柄なのに、大きな家具を小さな部屋のあちこちへと移動させる。 こちらの介護施設に越してきて、ベッドを部屋の反対側へ動かしてほしいと、スタッフに頼んだ。「できません」と言われたので、今日はベッドの右側半分に、次の日は左側半分に寝る、というふうにしていた。 望みあれば、道あり。  ですね。

元気とは?

朝6時に目覚ましで目が覚める。食事は7時半だから、その前に祈りに1時間とれる。起き上がらず、ベッドの中で「祈りは食後でもいいのだし」とか、グズグズ考えている。そうすれば7時半まで寝ていられる。 そんな時に思いだす。「元気は体から取り出すものだ」あるアメリカ人の神父が言っていた。何もしないでいて元気があるのではなくて、自分が自分の中から取り出すものだという意味だろう。 今朝も神父の言葉を思い出しながら、エイコラサと起き上がった。