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祈りとは?

私たちの修道院では、週に2回、木曜日と土曜日にミサがある。木曜日には築地教会からレオ神父が来てくださる。ニュージーランド出身の方で、コロンバン会という宣教会に属しておられる。俳句がお好きらしく、普段から先生について学んでおられると聞いている。この春、コンポステーラを歩いた折の録画を見せてもらったが、一日1句を詠まれていた。 この方がきのうのミサの時に話されて、心に残ったことがある。 「祈りはつながりです」 という言葉だった。神さまは別に私たちの賛美や感謝を必要とされない。私たちの望みもすべて知っておられる。ただ、私が神さまに話しかけるなら、神さまとのつながりを作り出す。 すんなりと心に入ってきた言葉だった。

東京の青い空

先日、友だちが明治記念館に連れて行ってくださった。「東京でただ一つの無料駐車場よ」という広大なパーキング・エリア。見回しても、ビルが一つも見えない。見上げると、青い空が広がっている。東京にこんな場所があるのかと驚いた。記念館そのものも、自然が豊かに整えられている。喫茶の場所もあり、そこでお茶をいただいた。 帰ってきてからグーグルマップで調べたら、記念館の前が明治神宮だった。あたりにビルが見えないのは当然か。

サクランボ

お昼の食後に出てきたサクランボ。佐藤錦で私たちが気軽に買えるものではない。若い頃、聖心会のシスターにお世話になったのでお返しをしたくて、と奇特な方が送ってくださった。一粒一粒輝いているサクランボ。味わいながら、ありがたくいただきました。 

札幌聖心の助っ人

札幌聖心女子学院が新入生の受け入れをやめて、今年で3年目になる。中3と高3の何人かがまだ在校している。修道院には数人のシスターたちが残っている。この修道院に一人の韓国人のシスターが加わってくださっている。名前はOhさん。 先日、このシスターを東京に招いた。私たちの修道院では先日、昼食を一緒にした。お互いちゃらんぽらんの英語での会話になったが、Sr. Oh の笑いの絶えない明るさがこちらにも伝わってくる。きっと札幌修道院も元気づけられていることだろう。50歳代で、丸々と太った人である。仕事はカウンセラーだとか。あの明るさはどこから来るのだろう。 現在、聖心会は国ごとに独立するのではなく、いくつかの国が一緒になって新しいUnitを形作る方向に向かっている。日本は韓国とオーストラリアとUnitになろうとしている。Sr. Ohの存在は、その実現化の一ステップである。将来への希望を持たせてくれる。

「やってみせ」

      「やってみせ、       言って聞かせて       させてみせ       ほめてやらねば       人は動かじ」 もう半世紀以上前のことになる。お蕎麦屋さんで、この言葉が書かれた色紙が壁に貼ってあるのを見た。いい言葉だなと記憶に残った。もちろん文字通りにそれを覚えたわけではなかった。 さいきん見ていたTV番組「なんでも鑑定団」で、山本五十六のことが話題になり、その時この言葉が取り上げられ、彼のものであったことを知った。 もし彼が戦時中の人間でなかったなら、どのような働きをしただろうと考えずにいられない。

リハビリは宝くじ

「診断書に書いてある症状以外に処置することはできません」 週1回、近くの整形外科医院にリハビリに通っている。去年10月頃に転倒し手をついたときに、右肩甲骨を脱臼させていた。右腕がまともに上がらなくなって、以来リハビリに通うことになった。 先週行ったところ、理学療法士さんが新しくなっていた。上記は、その人の言葉である。その意味もよくわからず、「ハア」と返事する。その人は20分ほど右肩甲骨のみを触っていた。そして最後に手を上げさせた。まっすぐ上に上がった。エーッという感じである。 これまでのリハビリは何だったのだろう。理学療法士さんにも腕のある人とそれほどでない人があるのだろう。いい人に当たるのは、宝くじに当選するみたい。

お洗濯屋さん

分厚いウールで裏付きのカーディガン2着をクリーニングに出した。代金¥660×2=¥1,320。これまで静岡でだと1着¥800(税別)くらいだった。別のウールのカーディガンの左ひじ下には、溶けたろうそくの直径5センチくらいのシミを作ってしまっていた。これも同じお洗濯屋さんにだしたところ、きれいに取れていた。こちらも¥660。 毎水曜日に来てくださるので、修道院の受付に預けておくと、金額を告げて、洗濯物を引き取ってくださる。次の水曜に配達に来てくださったときに支払い、となる。 値段もお安いし、とても丁寧な仕事をなさるので、受付の方に尋ねたところ、ご主人と奥さんの二人だけでお洗濯屋さんをしておられるとのこと。受付の方も個人的にそちらにお願いしているので、修道院で必要ならば、ということで、そういう取り決めになったらしい。 規格化され人情など入る隙間もないような東京の都心に、ご主人と奥さん二人だけのお洗濯屋さんが存在する。クリーニング屋さんとは呼びたくない。お洗濯屋さんである。

棟方志功のこと

連休中に、原田マハさん著の『坂の上の雲』を読んだ。棟方志功の人生を小説化した作品である。ちょっととぼけたような、でも引き付けられずにいない棟方の仏像画が好きなので、彼について知りたいと思ったためである。 彼の無尽蔵の創作意欲に、すごいなと思わせられる。ただ、強く印象に残ったのは、民芸運動の主唱者であった柳宗悦や河合勘十郎といった人たちが、棟方の才能を見込み、経済的にも思想的充実のためにも様々な援助を惜しまなかった事実である。世界の棟形志功の誕生は、大勢の後援者で支えられていた。彼の才能あってのことだが、彼の周囲の人々の善意に心を打たれた。  

死について

訪問診療医として有名な小堀鴨一郎先生が、最近『死を生きる』を上梓なさった。訪問診療医として有名な方だが、私の大学時代の友人のご主人で以前からお付き合いがある。先生がそのご本をくださった。 この本のなかで、死が カルミネーション と呼ばれている。「到達点」が日本語訳である。中学生にとっては中学卒業が到達点、高校生にとっては高校卒業が到達点であるように、人生の到達点は死ととらえられている。死でもって人生が断ち切られるのではなく、そこで人生が完結する。誰しもが到達する目的地という意味で、積極的なとらえ方である。そう考えると、自分もその到達点に達したいと思える。 私自身が死を恐れないかというと、全くないとは言い切れない。ただ、若い頃に大きな病気をして死ぬと思った時に、神様の大きな愛に包まれる体験をした。きっとその時にはその時に必要な恵みがあるのだろう。

嬉しいお手紙

表紙に金色と銀色の羽が一枚ずつあしらわれた美しい封筒を受け取った。便せんも封筒と対になっていて、金色と銀色の羽の模様入りだった。 お便りには、次のようにあった。 ――マザー・ブリットのことを調べようとしていたら、ポンコ記というブログを見つけました。ポンコというのはシスターMのことだろうと思い、お手紙を書きたくなりました。ガーコがお友達と知って、カラスの模様の入った便箋と封筒を探したけれど、見つからないので、羽の模様入りになりました―― 差出人は、半世紀以上以前の教え子さん。「私のこと、覚えていらっしゃらないかもしれませんが」とあったが、私はよく覚えていた。この3月でお仕事を定年退職したこと、これまでの年月にあった山あり谷ありの出来事がつづられていた。 美しい封筒と便箋をわざわざ見つけて書いてくださったお手紙に、心がポカポカした。定年後の人生、どうぞ楽しんでください。

花束のプレゼント

きのう夕方、散歩に出かけた。いつもと同じ住宅街の裏道である。お店など一つもないこの通りに、一軒だけ花屋さんがある。2階建てのお店で、2階にはランの鉢とかバラなどの切り花が売っているらしい。花束を手に階段を下りてくる人を見かけたりする。 1階から2階にかけてを、うまくひな壇のようにしつらえ、花や植物が置いてある。小さな鉢からちょっとした高級なものもある。お店の前を通ると、花畑のような香りがする。散歩の途中、このお花畑の香りを楽しませてもらう。毎日のように通るから、お店のご主人と目礼を交わすこともある。 いつも夕方に散歩に行くのだが、お財布を持たないようにしている。500円前後で買えるものもあり、あれこれ欲しくなってしまうからである。一番誘惑になるのは、サービス・ブケ―のコーナーで、ちょっとした花束が550円で買える。 きのうも香りだけを楽しませてもらい、帰り道に着いた。するとすぐ前を歩いていた女の子が、クルリと振り返り、手に持っていた花束を私に差し出してきた。サービス・ブケ―にあったバラの花束が簡単な包装をされていた。金髪の巻き毛のその子は小学校高学年くらいか。「いいの?ありがとう」と言って受け取った。花束を手渡すと、その子は一言も話さず、回れ右をして、さっさと行ってしまった。 夕方だったけれど、朝からの一日がピカピカと輝くように感じた。バラはピンクというか桜の花びら色で、3本の枝に花とつぼみが10個ついていた。あの子はどんな気持で私にくれたのだろう。など考え始めたが、いやいや、喜んでいただくのが一番だろう、と自分に言い聞かせた。 今、バラたちは廊下の花瓶で満開である。

ガラケー騒ぎ

ガラケーの画面が真っ黒になった。いつものボタンを押しても、何も起こらない。近くのドコモショップに電話をして、予約を取り、介助の人に付き添ってもらって行った。ショップの人は携帯をチェックして、「電源ボタンがオフになっています」とのことだった。電源ボタンを押すと、即もとに戻った。 付き添ってくれた人も、少々あきれ顔。私のこと、大丈夫かなと思ったみたい。 帰ってきて、よくよく考えた。通常使っているケイタイの電源をオフにするには、電源ボタンを長押ししなくてはならない。私にはそれをした記憶がない。急にケイタイの画面が真っ暗になり、何も反応しないので、パニックになった。だいたい、スマホを使う勇気もない機械音痴だ。 それにしても、切ろうともしていない電源が、なぜオフになったのだろう。ネットで調べたら、「極熱」で電源自動オフとあった。 私の部屋は西向きで、午後は西日がさんさんと入る。窓辺のスチールデスクは温かくなる。ここのところ、夏日のような気温の日もあった。机の上に置いてあったケイタイが「極熱」の状態になったのではないか。 こう考えると、自分では納得がいく。機械音痴の自己弁護か。