平和を求める祈り
最近アッシジを訪れた方がお土産に本のしおりをくださった。表には聖フランシスコ像の写真、裏には「平和を求める祈り」の英語版が印刷されていた。
私は長い間、聖フランシスコが嫌いだった。それは先の祈りが彼のものとされていたからである。とくに嫌いだったのが、つぎの文言である。
わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからゆるされ、
自分を捨てて死に、永遠のいのちをいただくのですから。
因果応報が根底にある。私の信じる神さまは、そんな方ではない。
何年も前になるが、たしか『アッシジの丘』という写真集に門脇佳吉神父が書いておられた記事から、先の祈りがフランシスコによるものではないことを知り、彼に対する偏見が解けた。
この祈りの成り立ちについては、現在、Wikipedia に詳しく記されている。以下、部分的に引用する。(太字は私個人がつけた。)
今日、広く世界で「聖フランシスコの平和の祈り」として知られる祈祷文は、1912年、第一次世界大戦前夜のフランスのカトリック信徒団体「聖ミサ連盟(Ligue de la Sainte-Messe)」の発行部数8000部の月次報告書『鈴(Le Clochette)』の中に「ミサにおける美しい祈り(Belle prière à faire pendant la Messe)」として無署名で発表されたものが初出である。掲載された報告書の中には、その祈祷文についての一切のコメントは無く、聖フランシスコへの言及もない。
しおりのお土産をもらってから、このことを書きたい、書きたいと思いながら、今日になった。今日は、くすしくも聖フランシスコの祝日である。