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まど・みちおさんの詩

まど・みちおさんの詩集『いわずに おれない』を読んでいる。心に残ったものを、二つ引用する。    ぼくが ここに ぼくが ここに いるとき ほかの どんなものも ぼくに かさなって ここに いることは できない もしも ゾウが ここに いるならば そのゾウだけ マメが いるならば その一つぶの マメだけ しか ここに いることは できない ああ このちきゅうの うえでは こんなに だいじに まもられているのだ どんなものが どんなところに いるときにも その「いること」こそが なににも まして すばらしいこと として            おならは えらい       おならは えらい                でてきた とき     きちんと     あいさつ する    こんにちは でもあり    さようなら でもある    あいさつを…    せかいじゅうの    どこの だれにでも    わかる ことばで…    えらい    まったく えらい      

リサイクルする思い出

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  2,3か月前のことになる。掲示板に「10時から11時のあいだにコロナの予防接種があります。談話室にお集まりください」という掲示が出た。10時に談話室に行くと、すでにちらほら人が集まっていた。 少しずつ人数が増えてきて、10時半頃には部屋はいっぱいになる。でも接種をする医師たちは現れない。私は10時から接種が始まるとばかり思っていたから、次第にイライラし始める。11時近くなり、私のイライラは沸点に達する。 私たちを見守るためだろう、介護士さんが一人ずっと同室にいてくれた。その時彼女がオカリナを取り出して、「頭を雲の上に出し」という童謡を吹き始めた。私たちを元気づけようとしてだろう。あまり上手でもなかったが、彼女の思いやりに心が和んだ。11時をすぎる頃になって、ワクチン接種のための医師と看護師たちがやってきた。 あの時のことが、ふと心をよぎることがある。こころにポッと灯が付くような感じがする。

思い出のリサイクル

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  小川洋子さんのエッセイ集『カラーひよことコーヒー豆』を読んだ。著者が効率よくリサイクルする才能として自慢できるのは、ささいな思い出を大事にし、何度でもよみがえらせて、その度に感動を新たにすることができる、と書いておられる。例えば、として、こんな出来事を記されていた。  ――お味噌汁に入れるお豆腐を掌の上で切っている時、必ず思い出す風景がある。息子がまだ言葉を覚えて間がなかった頃、私が同じようにそうやってお豆腐を切っているのを見つけた彼は、不意に叫び声を上げた。  「ママ―、おててが切れちゃうよ」  そう言って、私の足に抱きつき、涙をポロポロ流したのである。  西日の当たる台所で、お味噌汁の湯気が立ち込める中、冷たいお豆腐を掌に載せていると、息子の声がよみがえってくる。ママー、おててが切れちゃうよ。その言葉が心のなかに響き渡る。自分には心の底から純粋に泣いてくれる人がいる。そんな思いに浸って、幸せをかみ締める。泣いてくれた本人はすっかり大人になり、そんなことなど少しも覚えていないのだけれど。―― 想い出の箱が頭の中にあるのなら、思い出して嬉しくなるようなものを入れていこう。