祈りを捧げる
修道院に入って以来、朝一時間、午後30分の黙想が習慣になっている。その時間に何をしているかというと、いろんな雑念が頭の中を行き来して、ぼーっと座っているだけが現状である。若いころ、祈りの時間は神さまの慰めというか、心が満たされるしあわせな時だった。近ごろはそんなことは全くない。若いころの慰めは、祈りに引き寄せるための甘いお菓子だったのかしら。
「ちっともいいこと、ありません」とつぶやいていて、ふと気が付いた。祈りは私が捧げるものだ。神さまから何かをもらうためにするものではない。修道院に入ることを願ったのも、重い病気をして神さまの愛を知り、神さまに自分を捧げようと願ったからだった。
「つたない祈りですが、お捧げします」と祈ればいいのだと気づいた。卒寿を迎えての気づき。ちょっと遅いかも。