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聴力と年齢

ここのところ、左耳の具合がおかしい。聞こえが悪いのは年のせいだろうが、 紙が一枚かぶさっているような感じがする。思い立って、耳鼻科医院に行った。聴力検査のほか、いろんな検査・診察のあと、お医者さんの説明があった。メヌエール病とのこと。「聞こえが悪いのは、年のせいじゃないのですか」と言うと、お医者は「高齢になると、高い音から聞こえなくなる。あなたは高い音は聞こえている。中間の音が聞こえていない。左だけでなく、右も同じような状態。目まいはしませんか」 メヌエール、えーっ!という感じだ。目まいは意識していなかった。でも、そう言われれば、ふらっとすることが度々あった。 変な味のジュースのような飲み薬のほか、2種類の薬を飲みながら、早く治るの待っている。何でも年のせいにしては危ないことを学んだ。

ブナの木の癒し

今朝も朝ごはんを食べながらFM静岡放送を聞いていた。ちょうど何かを専門とする人(番組ではマスターと呼ぶ)とDJとの会話の時間で、マスターは「ブナの木と語る会」の会長だった。プロのギターリストとして活躍中の29歳のとき、指のけがでギターが弾けなくなった。絶望のどん底にいたとき、近くにあったブナの木に触れた。「その時の体験を言葉にできないのですが…。生きる力をもらいました」 それ以来、天城のブナの林に人々を案内する活動をしているとのこと。天城のブナ林は国有地で、伐採されそうになった時期には、地域で反対運動をして、伐採を食い止めたそうである。 子どもの頃、駐留軍の子どもたちと野球をしたりして英語を憶えた。それを基礎に上達した英語を教えて収入を得ながら、ブナの癒しを紹介している。経済的には楽ではないが幸せです、と話しておられた。 若い人たちも活動に加わっているそうで、頼もしい。

松の子ども

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私の住んでいるところの近くに、芝生の広場がある。真ん中に松の木が立っている。ときおり、そこへ散歩に行く。先日、散歩していたら、10センチにもならない松の木が3,4本生えているのを見つけた。松の木の種がこぼれて芽を出したのだろう。そのままにしておくと、芝の整備のときに刈り取られてしまう。なんだかかわいそうな気がして、翌日、スコップをもって行き、1本を抜き取ってきた。鉢に植えて、窓の外に置いた。 7センチくらいの松の子どもは、どんな風に成長するのだろうか。大きくなれば地面に移しかえるつもりだが、見届けられるかしら。

食欲と人の声

朝の食事を私は一人で食べる。ここのところ、静岡FM放送を聞きながら食べている。私のラジカセが簡単にキャッチしたので、聞き続けている。私が聞く時間帯では、おもにDJが県内の専門家(番組ではマスターと呼ぶ)との会話をしている。マスターは、例えば、餅菓子屋さん、運動具店主、お弁当屋さん、ゴルフのインストラクター、などなど。テーブルの上に、お茶碗、梅干し、納豆などを並べると、つぎにラジオのスイッチを入れたくなる。偶然にNHKのアサイチで聞いた情報で、こんな自分の日常を、なるほど、と思った。 一人で食事をしている場合、以下の4つの状況のうち食欲が出るのは以下のいずれか。心理学者が実験した結果を紹介していた。 人の画像―ーなし:人の声ーーなし 人の画像ーーなし:人の声ーーあり 人の画像ーーあり:人の声ーーなし 人の画像ーーあり:人の声ーーあり 食欲を助けるのは、2と4だそうである。画像のあるなしはあまり関係がない。音楽も関係がないとのこと。人の声が食欲を助けるそうである。 dj

小さな幸せ

目覚まし時計は6時に設定している。目覚ましが鳴ると、ベッドの中でグズグズしていられない。すぐに起き上がり、着替えをして、顔を洗わないと、6時25分のテレビ体操に間に合わない。 いつもは目覚ましが鳴るまで眠っているのだけれど、今朝はどうしたことか、その前に目が覚めた。時計は5時35分。あと25分はベッドの中でグズグズできると思うと、なんだかとても嬉しかった。今朝の 小さな 幸せである。

カラスのねらい?

2週間ほど前のことになる。ガタンガタンの音で目が覚めた。私の住んでいるところでは、夜になると鹿やイノシシがうろつく。庭の木の若葉は、鹿の頭が届くところまで裸になる。地面は、イノシシがミミズでも探すためか、ボコボコと穴があいている。 私は2階で寝ている。鹿かイノシシでも来ているのだろう。そのうちに音も止むかとしばらく待ったが、いつまでも続く。懐中電灯で照らせば、逃げるだろうと思い、懐中電灯を手にカーテンを開けた。とたん、目の前からカラスが飛び立った。時計を見たら3時35分だった。薄明りになっていたが、まだ夜明け前である。 部屋の窓の外側には、落下防止のためか、幅30センチ、高さ30センチほどの柵が張り出ている。そこに、小さな赤いシクラメンの鉢を置いていた。直径10センチ位の小さなプラスチックの鉢で、陶器の受け皿にのせていた。カラスが飛び立ったあとを見ると、花の鉢はさかさまになっている。プラだから、音を立てたのはこちらではなく、受け皿の方である。この皿を持ち上げたり落としたりして、音を立てていたのだろう。 カラスは空き缶を転がしたり、くわえた小石を落としたりして、音を立てて遊ぶ。でも、薄明りのとき、いったい何をしに窓辺まで来たのだろう。音を立てるためだけなら、家の周りにいくらでも鉢や石がある。私をねらったのかしら。カラスは頭がよくて、巣をこわしたりすると、その人を憶えていて、攻撃してくると聞いたことがある。私はそんなことをした覚えはない。なぜだろう。 一つ、思いあたるのは、私は散歩しているとき、カラスの鳴き声を聞くと、真似をする。「カア、カア」に対しては、「カア、カア」。「カア、カア、カア、カア」とくれば、「カア、カア、カア、カア」といった具合に。(近くに人がいるときは、しないけれど。)とくに意図はない。どちらかというと、私はカラスが好きで、親しみみたいなものがあって、そうする。それを感じ取ったカラスがいたのだろうか。 そういえば、その2,3日あとも、こんな出来事があった。私は毎朝7時ごろ、ミサや朝の祈りのために家を出る。その日、家の玄関を開けた途端、「カア、カア」と聞こえた。鳴き声の方を見ると、目の前に広がる茶畑の向こう、ちょうど私の真向かいに立つ木のてっぺんにカラスがいた。私も「カア、カア」と返事した。 今朝もまた、同じことが起こった。 友達ができたようで、嬉しい。

服から服へ

アパレル企業が廃棄する服、個人の不要になった服を回収する。その中のポリエステル100%のものを集め、染料や不純物を除くと、純粋なポリエステルを取り出すことができる。それを新しい服の作成に使う。このようなプロジェクトを始めた企業があり、内外の関心をあつめている。今朝、テレビが報じていた。 廃棄される服の焼却に使う燃料がいらない、焼却によるCO 2 を出さない、ポリエステルが無駄にならない、などなど。いいことずくめである。 「もったいない」の表現をもつ日本人は、このようなタスクに長けるのではないだろうか。焼却してしまうものが、もっともっと減りますように。

谷内六郎館に行った

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谷内六郎について書いた私のブログを読んだという人から、電話をもらった。「谷内の作品が大好きで、なんどか彼の展示館を見に行きました。行ったこと、ありますか?」と尋ねられた。私は展示館のあることも知らなかった。「それじゃ、そのうちにお連れします」と言ってくださった。 先日それが実現した。横須賀市の南東、海に面した丘に横須賀美術館があり、その一部が谷内六郎館になっている。美術館の前に広がる海の先に、房総半島が見える。私の住んでいるところから車で2時間ほどで到着した。 谷内六郎館には、彼の作品の一部50点ほどが展示されていた。右は「夕焼を消す人」いうタイトルの絵である。この絵を見ていると、夕焼がただの自然現象ではなくて、さまざまな想像を広がらせた子供時代を思い起こさせる。その郷愁から、固定概念から離れた世界に、知らずして連れていかれる。 「おとなは子どもの内部に入りこんでその原始のエネルギーを与えてもらうしかないようです」と谷内は言っているそうである。彼の絵は、そのエネルギーを媒介してくれる。 すてきな一日であった。新緑を見ながらのドライブ、久しぶりに見る海、谷内の絵の数々。いっぱい心に残ったが、なによりもこんな一日を作ってくださった方のご親切が、一番心に残った。40数年前の教え子さんである。

共感疲労と祈り

毎日のように新聞やTVでウクライナについての報道を見ていると、気が重くなり、これ以上見たくなくなってきていた。そんな聖週間のある日、ミサのとき、司祭、参加者一同で心を合わせてウクライナのために祈った。ミサ後、重い気分が消えているのに気づいた。苦しんでいる方たちを心にかけ続けよう、と思えた。 最近、『内なる生』(イヴリン・アンダーヒル著、金子麻里訳)という本を頂戴した。ご親切な方が、折にふれて参考になるような本や資料を贈ってくださる。著者はイギリス人の女性で、英国国教会の信徒である。国教会の聖職者たちに語った3つの講話が収録されている。女性が、それも平信徒(といっても、神秘主義についての著書が何冊かある)が、男性の司祭たちに講話をしたことにまず驚き、次にそれが1926年であったことに驚かされた。 著者は、聖職者の仕事は多々あるけれど、まず、祈りによって自らのうちに神の命をいただき、それを伝えてほしい、と力説している。 人間は内なるエネルギーを、自らの力で生み出すことができないように思う。祈りはそのエネルギーをくみ取る方法なのだろう。

旧約のユダと新約のユダ

聖週間の水曜日の朝、聖書朗読はユダの裏切りの話だった。ユダはイエスを銀30枚で売る。司祭は説教で、この出来事と旧約聖書との関連を指摘された。旧約聖書のヨハネと12人の兄弟たちの物語では、兄弟たちはヨハネをねたんで殺そうとする。兄弟の1人ユダはヨハネを殺さずに、通りかかった隊商に銀20枚で売ることをすすめ、そのようになる。司祭はその関連を指摘し、聖書を大きな流れの中で読むように勧められた。 司祭の指摘が心に残り、聖書を開いた。ユダがイエスを銀30枚で売るという話は、マタイ福音書だけに記されていることに気付いた。他の福音書(マルコ、ルカ、ヨハネ)には記されていない。マタイは旧約聖書のヨハネの話との結びつきを何らかの意図をもって付け加えたと考えられる。 ヨハネは兄弟たちによって隊商に売られ、エジプトへ連れていかれる。ファラオの夢を読み解き、王に仕えるようになり、エジプトを飢饉から救う。飢饉が全世界に広がり、ヨセフの兄弟たちも飢えに苦しむ。彼らはエジプトに行き、王の高官になっているヨセフから穀物を与えられる。 ヨセフの兄弟ユダはヨセフを売る。その結果、飢饉に面した時、ヨセフに救われる。イエスの弟子ユダもイエスを売る。その結果は?マタイ福音書は、ユダの罪の結果も大きな救いへつながることを暗示するのではないだろうか。 ヨハネは通商人たちに売られるが、エジプトでファラオに気に入られる。飢饉のときに助けを求めに来た兄弟たちを救うことになる。イエスも同じように売られる。しかし、その苦難によって人々が救われる。

卵の薄皮から作る下着

卵の殻についている薄い皮を卵殻膜と呼ぶらしい。朝、ラジオ体操のあと水を飲みながらテレビを見ていると、これに殺菌力があるので、繊維にして、赤ちゃんや幼児の下着が作られたことを報じていた。 卵の命を守るための自然の配慮に驚いた。そして、捨てるものを減らしたいと思い立ち、新しい発明をする人々に頭が下がる。 インターネットで検索すると、キューピーでは、マヨネーズ製造時に大量に出る卵殻の研究が進められているとのこと。 卵殻膜はタマゴの殻の内側にある薄膜のことです。 主成分はタンパク質で、二層の網目状構造をしています。 外側は粗く、内側は密な構造になっています。 古くは力士が怪我をした際に傷口に卵殻膜を貼り、傷を早く治したと言われています。しかし、卵殻膜は水に溶けないため、使い勝手が悪く、ほとんど活用されていませんでした。 そこで、効果のある卵殻膜を無駄にしたくないとの思いで、卵殻膜を水に溶けるようにする技術や微粉末にする技術を確立しました。今では、これらの技術を用いて、卵殻膜は食品や化粧品、繊維等さまざまな商品に配合されています。 (http://www.kewpie.co.jp/RandD/finechemical/rankaku.htmlより) NHKは企業名を出さないため、キューピーの名にふれなかったのだろう。 毎日捨てている色んなものも、活用できるものかもしれない。

若隆景の優勝

相撲の番組を見なくなって久しい。若貴時代には見ていたこともあるが、勝つためには何でもありの横綱の時代になって、相撲番組から遠ざかっていた。お相撲さんたちの名前も知らない。 最近、ドライアイや緑内障の治療のため、数種類の目薬を日に何度かささなくてはならない。夕方には、3種類をさすことになっている。一種類の目薬をさすと、5分の間隔をあけなくてはならない。なにもしないで5分間過ごすのは退屈なので、テレビをつける。5時半頃の時間帯、ここのところ相撲をやっていた。仕切りのときから潔く、きれいな相撲を取る人を1,2度見かけた。 27日、また目薬をさして、テレビを付けたら、きれいな相撲を取ると思った人が、優勝杯を受け取るところだった。表彰式後のインタビューから、この人が福島出身だと知った。3月は、福島にとって忘れられない時期だろう。この時期に福島出身の力士の優勝に、こちらも嬉しくなった。 その日の夜、福島の知人から電話をもらった。おいしいお菓子を見つけたから送りますとのこと。福島はこちらが応援したいほうなのに、折にふれてお心遣いをいただいている。「福島出身の人が、お相撲で優勝しましたね」というと、「あの人は3代続きのお相撲さんなのよ」とのこと。「お父さんの車とはよくすれ違う。車からはみ出しそうに大きな人で、車から降りると、車が弾んで跳ね上がるのよ」で大笑いした。 若隆景、おめでとうございます。