寒村「渋谷村」!
極暑の7月、宝塚市の修道院に住むシスターがパウンドケーキ3本を作って、私たちに送ってきてくださった。みんなで大喜びで食べて、元気をもらった。このシスターは料理が好きな93歳、片方の目が見えない。ありがたくて、何か感謝の気持をあらわしたかった。この方が歴史に興味があると聞いていたので、バターやオリーブ・オイルが日本で料理に使われ始めた明治初期を題材にした娯楽小説を送った。 1ヵ月ほどして、この方から小包が届いた。私が送った本と一緒に、『地図と愉しむ東京歴史散歩 地形編』が同封されていた。私の本は差し上げたつもりだったのだが‥‥ あまり興味はなかったが、いただいた本を読み始めた。「昭和七年(一九三二 )九月まで、今の渋谷区は東京市外(豊多摩郡渋谷町)だった。当時は 郊外の寒村 だったのである。」とあり、びっくり。調べてみると、 昭和7年10月1日、渋谷町、千駄ヶ谷町、代々幡町が合併し、東京市渋谷区が成立している。 関連するウエブサイトを調べていて、渋谷区の小田急線・代々木八幡駅近くに「春の小川記念碑」が立つことを知った。歌詞の著者である長野県出身の国文学者・高野辰之(1876~1947年)が、「 河骨( こうほね) 川の岸べを散策し作詞した」と紹介しているそうである。 「春の小川はさらさら行くよ」という歌詞から、地方の草深い田園を連想していたが、半世紀あまり前の渋谷の風景だった。 ウェブサイトによると、高野は1902年に上京し、08年から現在の渋谷区代々木で暮らしていた。 高野が暮らした当時は水田がまだ残っており、渋谷川の支流がいくつも流れていたらしい。河骨川は宇田川の支流で、岸辺にスイレン科のコウホネという花が咲いていたことが名前の由来と言われている。川はその後、64年の東京五輪開催を前に 暗渠( あんきょ) 化され、今は地下を通る直径40センチほどの下水道管の中を水が流れているだけという。