投稿

9月, 2026の投稿を表示しています

椋鳩十と動物物語

イメージ
獣医学生が主人公の小説を読んでいて、『大造じいさんとガン』という本があることを知り取りよせた。動物が主人公の短編集で、著者は椋鳩十という人だった。 読んでいると、何かきれいな空気が胸の中にすーっと入ってくる感じがした。 この本には、十数編の短編の動物物語が含まれている。巻末の解説によると、このうちの5編は日中戦争が太平洋戦争に拡大した時代に書かれている。この本のタイトルになっている短編が『少年倶楽部』という雑誌に掲載されたのは、真珠湾攻撃の1ヵ月前であったとのこと。 「バンザイ、バンザイ」と、心で泣きながら若い人たちを戦争に送り出した時代、椋が伝えたかったのは、動物と人間の区別なく、いのちの尊さ、愛情の美しさだろう。動物物語に仮託した反戦の想いではなかったか。 タイトルの物語は、現在、小学5年生の教科書に載っているそうである。

聖フランシスコの賛歌

アッシジの聖フランシスコの死後800年になる今年は、現教皇レオ14世によって「聖フランシスコ年」と公布されていた。それを知ったのはつい4、5日前のことである。購読している『福音宣教』という月刊雑誌の10月号が、聖フランシスコ年の特集を組んでいた。 その記事から、フランシスコの「全被造物の賛歌」についてあらためて理解したことがある。 以下に記事による「賛歌」をコピーする。 1.この上なく高き、全能の、善き主よ、   賛美、栄光、名誉とすべての祝福が、あなたにありますように。 2.あなたのみに、この上なき方よ、これらはふさわしい。   誰一人、あなたのみ名を呼ぶにふさわしいものはありません。 3.讃えられよ、わが主よ、あなたのすべての被造物とともに、   とりわけ兄弟なる太陽殿とともに   彼は昼をつくり、彼によってあなたはわれらを照らします。 4.彼はなんと麗しく、なんと大いなる輝きを放っていることでしょう。   この上なき方よ、彼こそがあなたを象徴するのです。 5.讃えられよ、わが主よ、姉妹なる月と星々のゆえに。   あなたは彼女らを天に明るく、気高く、美しく創られました。 6.讃えられよ、わが主よ、兄弟なる風のゆえに。   大気と雲と晴れた空と、あらゆる天候のゆえに。   彼らによって、あなた被造物を養ってくださいます。 7.讃えられよ、わが主よ、姉妹なる水のゆえに。   彼女は、とても助けになり、控えめで、気高く、清純です。 8.讃えられよ、わが主よ、兄弟なる火のゆえに。   彼によって、あなたは夜を明るく照らされます。   彼は、若々しく、愉快で、たくましく、屈強です。 9.讃えられよ、わが主よ、姉妹なる、われらの母たる大地のゆえに。   彼女はわれらを支え、養い、育て、   様々な果実を色とりどりの草花とともに生み出します。 10.讃えられよ、わが主よ、あなたへの愛のために赦し    弱さと苦しみを耐え忍ぶ人々のゆえに。 11.幸いなるかな、それを安らかに耐えぬく人々。    彼らはあなたから冠を授けられるからです。 12.讃えられよ、わが主よ、われらの姉妹なるこの身の死のゆえに。    生きている人は誰も、彼女から逃れることはできません。 13.禍なるかな、滅びに至る罪のうちに死のうとする人々。    幸いなるかな、あなたのこの上なき聖心のうちにある人々。...

寒村「渋谷村」の春の小川

イメージ
極暑の7月、宝塚市の修道院に住むシスターがパウンドケーキ3本を作って、私たちに送ってきてくださった。みんなで大喜びで食べて、元気をもらった。このシスターは料理が好きな93歳、片方の目が見えない。ありがたくて、何か感謝の気持をあらわしたかった。この方が歴史に興味があると聞いていたので、バターやオリーブ・オイルが日本で料理に使われ始めた明治初期を題材にした娯楽小説を送った。 1ヵ月ほどして、この方から小包が届いた。私が送った本と一緒に、『地図と愉しむ東京歴史散歩 地形編』が同封されていた。私の本は差し上げたつもりだったのだが‥‥ あまり興味はなかったが、いただいた本を読み始めた。「昭和七年(一九三二 )九月まで、今の渋谷区は東京市外(豊多摩郡渋谷町)だった。当時は 郊外の寒村 だったのである。」とあり、びっくり。調べてみると、 昭和7年10月1日、渋谷町、千駄ヶ谷町、代々幡町が合併し、東京市渋谷区が成立している。 関連するウエブサイトを調べていて、渋谷区の小田急線・代々木八幡駅近くに「春の小川記念碑」が立つことを知った。歌詞の著者である長野県出身の国文学者・高野辰之(1876~1947年)が、「  河骨( こうほね) 川の岸べを散策し作詞した」と紹介しているそうである。  「春の小川はさらさら行くよ」という歌詞から、地方の草深い田園を連想していたが、半世紀あまり前の渋谷の風景だった。 ウェブサイトによると、高野は1902年に上京し、08年から現在の渋谷区代々木で暮らしていた。 高野が暮らした当時は水田がまだ残っており、渋谷川の支流がいくつも流れていたらしい。河骨川は宇田川の支流で、岸辺にスイレン科のコウホネという花が咲いていたことが名前の由来と言われている。川はその後、64年の東京五輪開催を前に 暗渠( あんきょ) 化され、今は地下を通る直径40センチほどの下水道管の中を水が流れているだけという。