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11月, 2024の投稿を表示しています

出会いの喜び

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こちらの介護施設に来て、2年半ほどになる。それ以前は静岡県裾野市に20年近く住んでいた。裾野市では高齢者支援制度が充実していて、申し込めば利用できた。家事手伝い2時間、ガソリン代350円を支払えば、シルバー人材センターからお手伝いの人が来てくれた。裾野にいた間、週に一度、お願いしていた。 数日前、その時お世話になっていた方が突然訪ねてこられた。裾野を出るとき、お別れの挨拶をし、東京の施設に移ることを話していたので、探して来てくださったのだろう。「これを」と言って、差し出されたものを見て、びっくりした。裾野にいたときに、「手作業をするのが好きです。なにかあったら作りますよ」と言われて、母の着物地があったので、預けていた。そんなことはすっかり忘れていた。着物地から可愛い手提げとお財布が、すべて半返し縫いで作られていた。 涙が出そうになった。お礼の言葉も思いつかなかった。 これを縫って、わざわざ裾野から東京まで届けてくださる!「親切」という言葉でひとくくりできない。心温かい方の贈り物で、私の心もポカポカ。

金子みすゞの信仰

金子みすゞの詩集を読んでいる。「蜂と神さま」というタイトルの詩は次のようである。      蜂はお花の中に、      お花はお庭の中に、      お庭は土塀の中に、      土塀は町の中に、      町は日本の中に、      日本は世界の中に、      世界は神さまの中に。            そうして、そうして、神さまは、      小ちゃな蜂のなかに。 これを読むと、「私も同じ信仰をもっている」と思う。  「蓮と鶏」という詩には、別の感想を持った。      泥の中から      蓮が咲く。      それをするのは      蓮じゃない。      卵のなかから      鶏(トリ)が出る。      それをするのは      鶏じゃない。      それに私は      気が付いた。      それも私の      せいじゃない。 蓮を咲かせ、ひなをかえらせる大きな生命力、すべてのものに宿る神さまの力が存在する。それに気が付いたのは、自分でできたことではない。自分に宿る同じ神さまの力だということが、最後の節の「それも私のせいじゃない」に含まれるだろう。 私なら「それに私は気が付いた」で終わってしまう。みすゞの信仰の深さに心を打たれた。