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両手で顔を洗う喜び

右手中指がばね指になり、ステロイドを2回注射したりしたが、痛みが我慢できなくなり、手術をしてもらった。手のひらの指の付け根部分を2センチほど切開して、滑膜をとりのぞくということだった。手術の準備に1時間以上かかったが、手術そのものは15分ほどだったらしい。「らしい」というのは、手術台に寝かされ、伸ばした腕の付け根のところにカーテンがかけられて、向こうは見えない。手は部分麻酔。なにが起こっているのかわからないうちに、手術は終わっていた。 手術箇所をぬらしてはいけないとのこと。水仕事をするときは、お料理などに使うポリエステルの手袋をはめた。手術した指は腫れており、包帯もしているので、手袋も指先くらいしか入らない。朝、顔を洗うとき、ポリエステルで顔をなでるのも嫌で、左手だけで洗っていた。洗うというか、水で顔をぬらす感じである。 2週間ほどして、やっと抜糸になった。抜糸というから、切開部分を縫った糸を引き抜かれることを想像していた。実際は、切開跡のかさぶた状のものをピンセットで取り除くだけのことだった。 翌日から水を使ってよいとのこと。 待ちに待った朝、顔を洗った。片手でぬらすだけでなく、両手で顔を洗った \(^o^)/。 こんなに嬉しいこととは思わなかった。当たり前だと思っていたことが、そうではなく、ありがたいことだったとわかった。

人間の本性的祈り

遠藤徹先生がお書きになった次のような文章が、心に残った。 神様と呼びかけるかどうかは別として、 「助けて!」という心の叫びを、誰に向かって発しているのか分からずに、発している ということは間違いなくあるのではないか。発しようと 「意志する」ことなどなしに、思わず、つまり「自然に」、「自ら」、 発しているのではないか。 この「自然(nature)」には紛れもなく人間の自然本性(nature)が、人間という存在の根本的な成り立ちが、無為の内に、無垢のままの状態で、露呈しているのではないか。神とは本来そういう場面で初めて、根源的に、本源的に、出会うものではないか。 神が先に存在していて、その神に向かって助けを求めるのではない。誰に向かって発してい るのかわからずに 「助けて!」と思わず叫んでいる――その先にあるもの、その叫びが向かっている何か、究極的な、絶対的な何か、それが「神」なのである。 (太字原文ママ) 注1 「よかった」というのが、この文章を読んで、私の最初の反応だった。神はいつでもそこに存在している。人はそれを本性的に知っている。いずれかの宗教的信仰と関係なく。すべての人が、一人残らず、助けを必要とするときには、叫びをあげる相手がいる。自然本性的に神とつながっている。犯罪者であろうと、無神論者であろうと、である。本人は「神など」と言うとしても、私は「よかった」と思う。 次に思ったのは、祈りは私が考えるより単純なのではないかということだった。思わず「助けて!」と叫ぶときに、神と根源的に出会う。心の思いをそのまま神に向かって言うことにより神と出会う。とすると「祈り」は、七面倒くさいものではない。誰にも話せないわだかまりを心に抱えることがある。思いがモヤモヤして、言葉にできないこともある。それをそのまま神に話すこと=「祈り」なのであろう。 注1 「聖書の神観は現代の科学的世界観と、果たして、また、どのように、折り合うか」『宗教と文化 37号』、聖心女子大学キリスト教文化研究所、2021年。

一つの出発点

20代の終りころ、急な腹痛で病院に行った。内科のお医者に「妊娠しているのじゃないか」と言われ、腹が立った。婦人科に回され、卵巣嚢腫(のうしゅ)で、右側の卵巣を切除する必要ありと診断された。すぐに手術となった。聞いたこともない病気で、医者の説明もよくわからず、癌だと思い込み、これで死ぬのだと思った。「人生を棒に振った 」という思いが来た。家族や周りの人に迷惑をかけたばかりの人生だった。直近では、見合いをして結納まで交わしておきながら、結婚案内状を出す寸前になって取りやめていた。嫁入り道具を親族・近所にお披露目するため、着物を詰めたたんす一本を用意するように言われ、私の2度目の母はすべて調えていた。それを破談にして、家族にかけた心労・経済的負担も大きかった。 もうやり直すこともできない。後悔と絶望のどん底にいた。そのとき、突如、あたたかい温もりで包まれた。神さまだ、と思った。 私の予想ははずれ、1週間あまりで退院となった。父が迎えに来てくれた。タクシーが教会の前を通りすぎるとき、「私のこれからの人生はあなたのものです」と心の中で言った。 修道院に入ると家族に告げたところ、二人の弟たちは大笑いで、上のやつは「1週間しないで帰ってくるよ」とのたもうた。 弟の予言に反して、老年の今も修道院にいる。 修道院に入ってから、1度、「死ぬ」と思ったことがある。40代の終り頃、朝、起きようとしたら、クラクラッとし頭が上げられない。枕もとの内線電話にも手が届かない。これで死ぬのかな、と思いながら、意識が薄れていった。どのくらい時間がたったのか、しばらくして目が覚めた。お医者に行ったら、「症状があるときに来なければ、わからない」と言われた。「起き上がれないのに、来られるわけないでしょ」と、心の中でぼやいた。後遺症もなく、今に至っている。

人生の到達点

小堀鷗一郎先生がにお書きになった「人それぞれの老いと死」(「 一冊の本」2021年4月号)という記事を読んだ。先生は40年の外科医としての活躍ののち、訪問診療医に転じて15年になられる。お仕事ぶりはテレビなどでもたびたび放映された。 二つの事例が印象的だった。 事例1  76歳の男性。妻と二人暮らし。胃がん末期で、食事もほとんどとれない。病院を退院して自宅に戻った。その理由は好きな酒が自由に飲みたいため。小堀医師は、酒は好きなだけ飲んでよいと許可。翌日から彼の枕元にはウイスキーボトルが置かれ、ボトルの口には飲み口に接続したチューブが取り付けれた。彼は好きな時にボトルの中身を飲むことができる。食欲も一時的に旺盛となった。最後が近くなった頃、小堀医師はもらっていた高級ウイスキーをもちこみ、乾杯をした。 事例2  72歳男性。身寄りは全くなく、生活保護受給の独居。脳出血による右半身まひで入院していたが、歩行訓練もほとんど行わず、担当医の許可なく退院。極端なヘビースモーカーで、退院を強行した理由は喫煙を自由に行うためであった。自室から300m離れたたばこ自販機までの自力歩行を目的としたリハビリを開始。往復600mの戸外歩行が可能となるまでに一年間を要した。自力で往復できるようになった初夏、自販機への道で死亡していたことを、警察から知らされた。 簡略に引用させていただいたので、原文の魅力を半減させているだろう失礼をお詫びする。 飲酒や喫煙など、はた目にはとるに足らない事柄に見えても、当人にとっては生死をかけた「生活の望み」の実現である。いずれもが当人にとってはかけがえのない「人生の到達点」と言える、と小堀先生は結ばれていた。 人それぞれの到達点を尊重できるだろうか、私自身はどのような到達点を望んでいるのだろうか。考えさせられた記事であった。