一つの出発点

20代の終りころ、急な腹痛で病院に行った。内科のお医者に「妊娠しているのじゃないか」と言われ、腹が立った。婦人科に回され、卵巣嚢腫(のうしゅ)で、右側の卵巣を切除する必要ありと診断された。すぐに手術となった。聞いたこともない病気で、医者の説明もよくわからず、癌だと思い込み、これで死ぬのだと思った。「人生を棒に振った 」という思いが来た。家族や周りの人に迷惑をかけたばかりの人生だった。直近では、見合いをして結納まで交わしておきながら、結婚案内状を出す寸前になって取りやめていた。嫁入り道具を親族・近所にお披露目するため、着物を詰めたたんす一本を用意するように言われ、私の2度目の母はすべて調えていた。それを破談にして、家族にかけた心労・経済的負担も大きかった。

もうやり直すこともできない。後悔と絶望のどん底にいた。そのとき、突如、あたたかい温もりで包まれた。神さまだ、と思った。

私の予想ははずれ、1週間あまりで退院となった。父が迎えに来てくれた。タクシーが教会の前を通りすぎるとき、「私のこれからの人生はあなたのものです」と心の中で言った。

修道院に入ると家族に告げたところ、二人の弟たちは大笑いで、上のやつは「1週間しないで帰ってくるよ」とのたもうた。

弟の予言に反して、老年の今も修道院にいる。

修道院に入ってから、1度、「死ぬ」と思ったことがある。40代の終り頃、朝、起きようとしたら、クラクラッとし頭が上げられない。枕もとの内線電話にも手が届かない。これで死ぬのかな、と思いながら、意識が薄れていった。どのくらい時間がたったのか、しばらくして目が覚めた。お医者に行ったら、「症状があるときに来なければ、わからない」と言われた。「起き上がれないのに、来られるわけないでしょ」と、心の中でぼやいた。後遺症もなく、今に至っている。

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