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3月, 2022の投稿を表示しています

若隆景の優勝

相撲の番組を見なくなって久しい。若貴時代には見ていたこともあるが、勝つためには何でもありの横綱の時代になって、相撲番組から遠ざかっていた。お相撲さんたちの名前も知らない。 最近、ドライアイや緑内障の治療のため、数種類の目薬を日に何度かささなくてはならない。夕方には、3種類をさすことになっている。一種類の目薬をさすと、5分の間隔をあけなくてはならない。なにもしないで5分間過ごすのは退屈なので、テレビをつける。5時半頃の時間帯、ここのところ相撲をやっていた。仕切りのときから潔く、きれいな相撲を取る人を1,2度見かけた。 27日、また目薬をさして、テレビを付けたら、きれいな相撲を取ると思った人が、優勝杯を受け取るところだった。表彰式後のインタビューから、この人が福島出身だと知った。3月は、福島にとって忘れられない時期だろう。この時期に福島出身の力士の優勝に、こちらも嬉しくなった。 その日の夜、福島の知人から電話をもらった。おいしいお菓子を見つけたから送りますとのこと。福島はこちらが応援したいほうなのに、折にふれてお心遣いをいただいている。「福島出身の人が、お相撲で優勝しましたね」というと、「あの人は3代続きのお相撲さんなのよ」とのこと。「お父さんの車とはよくすれ違う。車からはみ出しそうに大きな人で、車から降りると、車が弾んで跳ね上がるのよ」で大笑いした。 若隆景、おめでとうございます。

すごい方達

福島にいる友人から、次のようなメールをもらった。 今回の地震では屋根の瓦が壊れたところが多くて、 いまカリタスは特別に屋根瓦修理専門のボランティアだけ受け入れ ています。命綱つけて作業する方の話なんて、 ここでなければ聞けないなーと思いながら、 聞かせていただいています。昨日、 1人屋根瓦の仕事が本職の若い方がボランティアとして参加してい ました。 5-6人のグループですが、皆違う県からの方々、 災害のあるところで一緒になる仲間だそうです。 すごい方達だと感動しています。 私も感動した。  

ウクライナと小鳥

 「小鳥は言葉を使える?」というタイトルの話がAsahiDigital で見られるとのこと。新聞記事で見て、申し込みの手続きをしようとした。ふと、ウクライナのことが頭をよぎった。死ぬか生きるかの思いをしている方たちがあるのに、こんなのんきなことをしていていいのだろうか。なんだか申し訳ない気持ちになった。苦しんでいる人たちがあるとき、私たちは心の底から楽しい思いができない。 ここ2・3日、私の住んでいるところでは、ウグイスの鳴き声が聞こえるようになった。ウクライナでは、小鳥どころでないだろう。小鳥たちは、どうしているのだろう。人間の残虐で、小鳥や動物たちも生存を脅かされている。 ウクライナのため、今のところ私にできるのはささやかな献金と祈りだけである。

「わたしはあるという者だ」

きのうの朝、ミサのときの朗読の一つが、神がモーセを派遣するときの話だった。そのなかで、神はモーセに「わたしはあるという者だ」と告げている。英語の聖書では "I am who I am" などと訳されている。私にはチンプンカンプンで、何のことだかわからない個所の一つだった。しかし、司祭の次のような説明で、初めて理解できた。 「わたしはある者」とは、「あなたにとって、わたしは(いつも)いる者」と理解できる。神は派遣するモーセに、「わたしはいつもあなたと共にいる」と語りかけている。新約聖書では、イエスがインマヌエル(=神われらとともにいます)と呼ばれている。 司祭の話で、今までわからなかったことが腑に落ちて、驚いている。86歳にもなると、新しく理解・発見することはないと思っていたらしい。

将棋の神さまにお願い

藤井さんが次々と昇段し、タイトルを増やしている。将棋のことは全く分からないのだが、春先に若木がすくすく伸びていくのを見ている感じがずる。こちらにエネルギーを送ってくれる。 何年か以前に受けていたインタビューが、今も印象に残っている。「将棋の神さまに会ったら、何を願いたいですか」と尋ねられ、すぐに「一局、お手合わせ願いたいですね」と答えていた。意表を突かれた。私だったら、「将棋が強くなるようにしてください」と答えただろう。でも、彼は違った。彼は将棋を本当に楽しむ人なのだろう。ゲームセンターで夢中になっている少年を思わせる。それが彼の強さの源かと思った。

YOUは何しに・・・

プレバト以外に、”YOUは何しに日本へ”というテレビ番組を、必ず録画予約して見ている。多くの場合、記者が国際空港に行き、到着した外国人に「インタビューOK?」と尋ねる。OKの返事があると、「YOUは何しに日本へ」と質問する。 番組によって知るようになった日本は、いっぱいある。例えば、 ツナマヨのおにぎりが大好きなアメリカ国籍の人である。すべてゼロから作ることを目指している。マグロを釣ることはできなかったが、カツオを釣り、それを缶詰にすることは完成させた。最近の収録では、日本の伝統的塩づくりに挑戦していた。天秤棒両端の木桶でもって海水をくみ取り、塩田に撒く。天日干しにしたのち、塩のついた砂を集めて桶に入れ、そこにさらに海水を入れる。濃度の濃くなった桶の中の水を抽出する。その水を窯で煮詰めると、ミネラル豊富な塩が出来上がる。唯一能登で、今も続く伝統的製塩法だそうである。 もう一つは、スペイン人の年配女性だった。「YOUは何しに日本へ」と尋ねられて、「子どもの頃からあこがれていた日本に、やっと来られました」と答えながら、涙ぐんでいた。子どもの頃、親と一緒に汽車に乗っていたとき、何が理由だったか忘れたけれど、自分が泣き続けていた。すると、前の席に座っていた人が、私の手に折り鶴をのせてくれた。かわいい折り鶴をもらって、泣くのを忘れた。そのとき以来、日本に行きたいと思うようになった、と話していた。 日本のアニメにあこがれる人、日本の各地のラーメンを食べたい人、忍者訓練を受けに来る人、などなど。他国の人たちがいろんな形で日本に触れている。その人たちの話や体験をから、これまで知らなかった日本の姿を知ることができて、楽しい。  

バール神とイエス

一時期、何を思い詰めていたのか忘れたが、 このまま進めば、もしかすると神は存在しないことに行きつくのではないか、と思ったことがある。もし存在しないなら、私のこれまでの修道生活は無意味だったことになる。そんなことに気付くより、目をつぶり毎日を続けようか。そう考えたが、やはり真実を知るべきだと選択できた。そして行き着いた先に、神はおられた。 そのときから、神の存在を疑うことはなくなった。その後、何年かして、調べごとの必要があって古代オリエント文学を読んでいた。読みながら、聖書でイエスがオリエント神話の主神バールと対比して描かれていることに気付いた。とくにバールの処女神からの誕生という点で、イエスをバールと同じ神秘的な存在として描こうとしていると思われた。そうこうしているうち、バールとイエスが私のなかでゴチャゴチャになってしまい、イエスが見えなくなった。 そんな情けない心境のしばらくが続いていたある日、朝のミサ中の司祭の話で目が覚めた。イエスは赤ちゃんとして生まれ、毎日少しずつ成長して、少年となり、青年となった。バールのように生まれたときから成人した神であったのではない。私たちと同じ、人間だった。 1943年、教皇ピオ12世は Divino Afflante Spiritu という回勅を出している。考古学、古代史、古代文学を用い、聖書を科学的に解釈することを奨励する回勅である。当時、カトリック教会内には、古代オリエントの研究を取り入れることに対して反対する風潮もあったらしい。この回勅のおかげで、カトリックの聖書学は飛躍的に発展する。 この回勅がもたらした成果は言うまでもない。ただ、私のような体験をすると、古代オリエント文学や文化の研究に反対した人たちの気持がわかるような気がする。