バール神とイエス
一時期、何を思い詰めていたのか忘れたが、 このまま進めば、もしかすると神は存在しないことに行きつくのではないか、と思ったことがある。もし存在しないなら、私のこれまでの修道生活は無意味だったことになる。そんなことに気付くより、目をつぶり毎日を続けようか。そう考えたが、やはり真実を知るべきだと選択できた。そして行き着いた先に、神はおられた。
そのときから、神の存在を疑うことはなくなった。その後、何年かして、調べごとの必要があって古代オリエント文学を読んでいた。読みながら、聖書でイエスがオリエント神話の主神バールと対比して描かれていることに気付いた。とくにバールの処女神からの誕生という点で、イエスをバールと同じ神秘的な存在として描こうとしていると思われた。そうこうしているうち、バールとイエスが私のなかでゴチャゴチャになってしまい、イエスが見えなくなった。
そんな情けない心境のしばらくが続いていたある日、朝のミサ中の司祭の話で目が覚めた。イエスは赤ちゃんとして生まれ、毎日少しずつ成長して、少年となり、青年となった。バールのように生まれたときから成人した神であったのではない。私たちと同じ、人間だった。
1943年、教皇ピオ12世は Divino Afflante Spiritu という回勅を出している。考古学、古代史、古代文学を用い、聖書を科学的に解釈することを奨励する回勅である。当時、カトリック教会内には、古代オリエントの研究を取り入れることに対して反対する風潮もあったらしい。この回勅のおかげで、カトリックの聖書学は飛躍的に発展する。
この回勅がもたらした成果は言うまでもない。ただ、私のような体験をすると、古代オリエント文学や文化の研究に反対した人たちの気持がわかるような気がする。