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お洗濯屋さん

分厚いウールで裏付きのカーディガン2着をクリーニングに出した。代金¥660×2=¥1,320。これまで静岡でだと1着¥800(税別)くらいだった。別のウールのカーディガンの左ひじ下には、溶けたろうそくの直径5センチくらいのシミを作ってしまっていた。これも同じお洗濯屋さんにだしたところ、きれいに取れていた。こちらも¥660。 毎水曜日に来てくださるので、修道院の受付に預けておくと、金額を告げて、洗濯物を引き取ってくださる。次の水曜に配達に来てくださったときに支払い、となる。 値段もお安いし、とても丁寧な仕事をなさるので、受付の方に尋ねたところ、ご主人と奥さんの二人だけでお洗濯屋さんをしておられるとのこと。受付の方も個人的にそちらにお願いしているので、修道院で必要なれば、ということで、そういう取り決めになったらしい。 規格化され人情など入る隙間もないような東京の都心に、ご主人と奥さん二人だけのお洗濯屋さんが存在する。クリーニング屋さんとは呼びたくない。お洗濯屋さんである。

棟方志功のこと

連休中に、原田マハさん著の『坂の上の雲』を読んだ。棟方志功の人生を小説化した作品である。ちょっととぼけたような、でも引き付けられずにいない棟方の仏像画が好きなので、彼について知りたいと思ったためである。 彼の無尽蔵の創作意欲に、すごいなと思わせられる。ただ、強く印象に残ったのは、民芸運動の主唱者であった柳宗悦や河合勘十郎といった人たちが、棟方の才能を見込み、経済的にも思想的充実のためにも様々な援助を惜しまなかった事実である。世界の棟形志功の誕生は、大勢の後援者で支えられていた。彼の才能あってのことだが、彼の周囲の人々の善意に心を打たれた。  

死について

訪問診療医として有名な小堀鴨一郎先生が、最近『死を生きる』を上梓なさった。訪問診療医として有名な方だが、私の大学時代の友人のご主人で以前からお付き合いがある。先生がそのご本をくださった。 この本のなかで、死が カルミネーション と呼ばれている。「到達点」が日本語訳である。中学生にとっては中学卒業が到達点、高校生にとっては高校卒業が到達点であるように、人生の到達点は死ととらえられている。死でもって人生が断ち切られるのではなく、そこで人生が完結する。誰しもが到達する目的地という意味で、積極的なとらえ方である。そう考えると、自分もその到達点に達したいと思える。 私自身が死を恐れないかというと、全くないとは言い切れない。ただ、若い頃に大きな病気をして死ぬと思った時に、神様の大きな愛に包まれる体験をした。きっとその時にはその時に必要な恵みがあるのだろう。