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7月, 2022の投稿を表示しています

韓国版「おしん」=「馬医」

1時間以上のものは見ない、字幕のものは見ない、とTV番組について決めている。目が疲れるためである。でも、はまってしまい、1時間ではあるが字幕付きの韓国ドラマ「馬医」を見てしまった。50回の連続ドラマで、7月20日が最終日になる。17世紀の李王朝が舞台で、当時軽蔑されていた身分の獣医が王の主治医になるまでを描く。実在した人物がモデルだそうである。 「面白い」と韓国通の知人に話したら、「おしんに人気があったのと同じでしょ」と言われた。誰しも大なり小なり困難を抱えている。ドラマと分かっていても、困難を乗り越えていく人を見ながら、自分もがんばる力をもらうのだろう。 それもあるが、ほかに時折、ハッとさせられることがある。たとえば、王女の病気について、主人公が王に治療法を説明する。その治療法で成功した例があるのか、と王に尋ねられ、主人公は「これまで50頭以上の牛で成功しています」と答える。「王族と牛を並べるのか」と激怒する王を、そばにいた重臣が「彼にとって、王女様の命も牛の命も同じ命なのです」となだめる。この場面を見て、私は動物の命を一段下に見ていたことに気づかされた。 今日がこのドラマの最終日である。ちょっとさびしくなる。   

縁をつなぐ学長マザー・ブリット

聖心大の学長だったマザー・ブリットの秘書を2年近く務めていたとき、息子の結婚相手の紹介を願うお母さんのため通訳をすることが一度ならずあった。大学初期の卒業生の中では、マザーの取りもたれた縁で結婚した方が何人かいらっしゃるだろう。 つい先ごろ、90歳になる方の話を聞いた。マザーから紹介されてある修道会に入会したという。半世紀以上前のことになる。大学4年生で卒業まじかのころ、マザーに呼ばれ、”Sisters came from Kyoto."と言われて、アメリカから来たばかりの2人のシスターを紹介された。京都で新しく修道院を開こうとしているシスターたちだった。京都出身で、卒業後はシスターになることを希望していた彼女は、すぐにその修道会に入ることを願い出た、と話しておられた。その学生が京都出身で、将来は修道女を目指していることを知らなければ、こんな縁結びはできなかっただろう。当時、大学の総学生数は500人くらいだった。 マザーは学者というよりも、優れた教育者だった。講義としては、1年次、2年次にはEthics(=倫理)、4年次にはCurrent Events(=時事問題)を教えられた。そのほかに、歩き方、年上の方に対する礼儀、ドアの開け閉めの仕方、などなど生活面についても、細かく指導された。昼休みの時間にGeneral Assembly と称して全学の集まりがあり、そのときに生活指導をされた。 私自身がマザーから教わったもっとも大きなことは、祈りである。私の在学当時、寄宿生は全員、朝6時半のミサ出席が義務だった。その前の15分間、希望者15、6人が1教室に集まった。マザーがイエスの生涯の1場面などを取り上げ、それを祈るように導かれた。願いごとをする祈りだけでなく、イエスと語り合うことを学んだと思う。イエスとの縁を結んでいただいた。

マイ脱原発

5月19日付の朝日新聞朝刊は、東京電力福島第一原発の処理水を海洋放出することを、原子力規制委員会が了承したことを報じている。 どう考えても、地球汚染としか考えられない。水俣病のときのように、被害者を出さない保証が、どこにあるのか。 汚染された地球を、私たちは未来の人たちに残したいのか。 絶対に反対だけれど、私にはこれを止める力がない。反対する署名運動が今も続けられており、署名はした。でも、そんなものは無視されるだろう。憤懣やるかたない、という感じのときに、ぐうぜん、稲垣えみ子著「淋しい生活」を読んだ。元朝日新聞の記者であった稲垣さんが、福島第一原発の爆発を機に何かをしなくては、と思い立ち始めた「個人的脱原発計画」について書かれている。 掃除機、レンジ、エアコン、冷蔵庫を捨て、電気代を月150円にまでされた。 「私も始めよう」と思った。稲垣さんほど徹底できなくても、私にできることがある。冷蔵庫なしにはできないけれど、詰め込みすぎないようにすれば、 消費 電力は減る。レンジもやめられない。でも、なるだけガスを使うようにできる。エアコンは、私の住んでいる家には応接室にしかない。夏は扇風機、冬はオイルパネル・ヒーターを使っている。掃除は、稲垣さんの真似をしてほうきを使ってみると、ずっと手軽である。そのあとモップをかける。これらが、今のところの、 私の原発反対運動だ。 それにしても、もっと自然のエネルギーが使えるようにできないのだろうか。風力、水力、太陽光など。

カラスの子ども

きのう、ミサに行くため、聖堂のある建物に向かって歩いていると、「カア、カア」と鳴き声がした。見ると2羽のカラスが屋根の上にいた。1羽は大きく、もう1羽は小さい。大きい方が、くちばしで小さいカラスの毛づくろいをしてやっている。 ここしばらく鳴きかけてくるカラスを見かけなかった。その間に、ひなが生まれ飛べるようになったのだろうか。もしかして、子どもを見せに来てくれたのではないか。などと、独りよがりで嬉しくなっている。

植物と連動?

母の日にカーネーションの鉢をいただいた。長持ちさせたくて、水をやり、花は枯れる寸前に切り落としていた。そのうちに気が付いたら、花は一つもなく、つぼみだけになっていた。水は適当にやっていたが、つぼみはいつまでも開かない。花の時期が終わったのかな、と思っていた。ところが、2、3日前からつぼみの先が赤くなり始め、今日は花が開いた。私が元気を取り戻し始めると、カーネーションが咲き始めた。 それで思い出した。私の2度目の母(実の母がなくなって後、父が再婚した相手)は、くちなしの花が好きだった。引っ越しをしたとき、以前の家にあったくちなしの木も移し植えた。その母が亡くなると、間なくしてくちなしの木が枯れてしまった。 植物と人間――つながりがあると思っていなかったが、実はつながっているのではないか、と思わせられた。農家の方にとって、こんなことは当たり前なのかもしれない。