ウクライナと小鳥

 「小鳥は言葉を使える?」というタイトルの話がAsahiDigital で見られるとのこと。新聞記事で見て、申し込みの手続きをしようとした。ふと、ウクライナのことが頭をよぎった。死ぬか生きるかの思いをしている方たちがあるのに、こんなのんきなことをしていていいのだろうか。なんだか申し訳ない気持ちになった。苦しんでいる人たちがあるとき、私たちは心の底から楽しい思いができない。

ここ2・3日、私の住んでいるところでは、ウグイスの鳴き声が聞こえるようになった。ウクライナでは、小鳥どころでないだろう。小鳥たちは、どうしているのだろう。人間の残虐で、小鳥や動物たちも生存を脅かされている。

ウクライナのため、今のところ私にできるのはささやかな献金と祈りだけである。


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