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ことばの違い

先日、半世紀以前に教え子さんだった方たち数人とおしゃべりに花を咲かせた。「シスターは以前、パーラーのことをお客間とおっしゃいました」と一人が言った。そのことは覚えていなかったが、私が「運動場で‥‥」と言ったら、「えーー、グラウンドでーーす」と返されたことはよく覚えている。 私が大学に入学したとき、生活指導のシスターが「 オヒノシ をお部屋でお使いになってはいけません」とおっしゃったとき、私もエーーと思った。アイロンのことだろうと想像はしたけれど。 入学して2週間はオリエンテーション・ウイークだった。構内案内、図書館の使い方などなどのほか、聖歌練習もあった。聖歌練習のとき、指導のシスターが「復活したキリストに弟子たちが出会ったことを歌う聖歌です」といって、その物語を話された。 ――イエスが十字架上で亡くなり、悲しみ失望した弟子たち二人がエルサレムから逃れてエマオに向かっている途上、復活したキリストに出会います。「主よ、どうぞ私たちとともにとどまってください」と願うのが、ラテン語の歌詞の意味です。――  1953年当時、聖書を直接読むことは許されていなかった。「イエス伝」とか「キリスト物語」とかしか知らなかった。ましてやキリストの復活についての話とかは、それまで知らなかったように思う。 Mane nobiscum, Domine という歌が、心に沁みた。今も大好きな聖歌である。入学まもないころで4月だから、復活節でもあっただろう。

さりげなく

建物の入口の前で折りたたみ傘をたたもうとして、もたもたしていた。前を通りかかった若い女性がすっと近づいてきて、傘を手に取り、たたんでくださった。「ありがとうございます」とは言ったものの、その方の動作のさりげなさに驚かされた。 私だったら?と思わずにいられなかった。大きなことだったら、何かできることならと近づかずにいられなかっただろう。ささいなことだけに、見知らぬ人に近づき、その持ち物に手を出す前にあれやこれや考えるだろう。その2,3秒のあいだに、問題は解決してしまっているかもしれない。 温かい心遣いは、私の心にホンワカとしたぬくもりを残してくれた。2,3日前のできごとなのに、今も忘れられない。