霊は存在する?

ぼんやりとテレビを見ていた。一人の女性についてだった。15歳のとき、母は娘と夫に「死んでもみんなを見守っているからね」と約束して亡くなっていった。25歳になって、女性は結婚が決まり、母の着物を取り出して、母を思い出していた。その後、買物に出かけていると、父から「大急ぎで帰って来い」との電話。帰ると、「見ろ、見ろ」と父が柱時計を指さす。その針が前後に振れたり、グルグルと回ったりしている。「お母さんだ」と言って録画したものが、テレビで放映されていた。

こういうものを見ると、すぐに、インチキだと思いそうになるが、自分の体験を振り返ると、そうとばかり言い切れなくなる。

40年あまり前のことになる。高齢で京都の病院に入院していた父を、東京から見舞いに行った。戻ってきて、数日後の夜、突然、ガチャンと音がした。足元に私の腕時計が落ちていた。時計のバンドが切れている。鎖が連続してつながっている仕様のバンドで、簡単に切れるものではない。短くするには、つなぎの一部を針状のもので突いて外さなくてはならない。ハッと思い出した。父が時計のバンドがゆるいから、短くしてほしいといっていたのに、忘れて帰ってきていた。その2,3時間後、京都から電話があり、父が亡くなったことを知らせてきた。

一昨年、病気の弟を見舞おうと三島駅のホームに向かう階段を上っていると、携帯が鳴った。弟の娘からで、「たった今、亡くなりました」と知らせてきた。そのまま京都に行き、亡くなった弟と別れをして、その日に帰宅した。翌日、ご飯を炊こうと、炊飯器を見ると、時刻表示が8時で止まっている。現在時刻表示はリチウム電池で動いているから、止まるはずがない。ご飯を炊くためには、取り出してきた取扱説明書を見ながら、表示の現在時刻を訂正しなくてはならなかった。私が三島駅に着いたのは9時頃だった。8時には、私はまだ修道院にいた。

父も弟も、息を引き取る前に、私に会いに来てくれた。

時間と空間を超越する霊。その存在を、私は信じない。体験として知っているから。





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