名前を憶える

名前を憶える

メタセコイアについて新聞記事が載った3月4日、所属していた聖心女子大学キリスト教文化研究所から紀要(『宗教と文化 37号』)が届いた。以下は、そこに載せられた私の文章である。

聖心女子大学初代学長マザー・ブリットの思い出

1954年春、私が聖心女子大学に入学したときの同期生は、およそ120名であった。入学式に続くオリエンテーション・ウイーク中、名札を胸につけるように言われた。その一週間は、新入生ばかりでなく、在学生全員が名札を付け、全員の名前を憶えるようにとのことだった。

その週の最後の日、全学生が図書館の閲覧室に集まった。今は、閉架式書庫になっている場所である。そこで名前をどれだけ憶えたかを競うゲームがあった。全員起立し、自分の周囲を見回して、名前を知らない人が一人でもあれば、座る。次に、立っている人たちが周囲を見て、知らない人がいれば、座る。それを何回か繰り返し、最後に立っている10名ほどのなかに、新入生はいなかった。当時、全学生数は500人位だった。上級生は新入生120人ほどの名前を憶えればいいのだが、新入生には当然無理だった。

次の週から、講義が始まった。一年次生の必須科目に「倫理」があった。週一コマの講義で、学長マザー・ブリットが Where Is Truthという本を用いて教えられた。マザーが戦時中、アメリカに帰国を命じられ、その間に書き上げられたと聞いている。クラス中に、マザーが私たちを名前で呼ばれるのに驚かされた。学生たちに互いの名を記憶するよう求めたマザーは、自身も全学生の名前を憶えておられたのである。「マスーダさん」と呼ばれ、大勢のなかの無名の一人でないことを実感させられた。

十二歳のとき受洗した私は、そのころ、カトリックの教えに疑問を抱くようになっていた。一年が終わるころには信仰を理論的に理解できるようになったのは、「倫理」のクラスのおかげであった。

名前を憶えるだけともいえるが、そこに注がれる心のエネルギーがある。身近な一人ひとりを心にかける第一歩として、マザー・ブリットはそれを実行し、また私たちに求められたのだろう。聖心女子大学校章には小さな文字でUBI CARITAS IBI DEUS と刻まれている。「愛あるところに神います」というこのモットーの、日常的な実践であったような気がする。

最近の私は、知っている人の名前がふと思い出せなかったりするけれど、大学時代に教わった聖心スピリットは生き続けたいと願っている。

マザー・ブリットの教えを、もっともよく体現したのは、一年上級の正田美智子さんだった。その当時、聖心大では、student government があった。各学年がpresidentを選出する。4年生のpresidentが全学のpresidentになる決りだった。毎水曜日の昼休み時間は、全学の集会と決まっていた。4年生のpresident正田さんが、年度最初の集会で、発言を希望する人が手をあげると、それぞれの人を名前で呼ぶのに驚いた。そのころの思い出話になると、卒業生たちが同じことを言う。

正田さんは、こまやかな心遣いのできる人でもあった。Teaching Method(教授法) のクラスで、教授のアメリカ人のシスターが、たびたびWinnie the Poohを例にとって話をした。私には、何のことやらチンプンカンプンだった。偶然席が近かった正田さんに「プーって、なんのことかわからない」と話した。数日後、正田さんが「これ、古本屋で見つけたから」と、プー物語の本を手渡してくださった。私が2年生、正田さんが3年生の時だった。

今は、その本が英語だったか、日本語だったかも憶えていない。数年後に正田さんが皇太子妃になられると知っていたら、いただいた本は記念にとっておいたのだけれど。







 

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