井の中の蛙の復権

「井の中の蛙、大海を知らず。されど」の続きが気になって、ネットで検索してみた。まず「井の中の蛙、大海を知らず」は、『荘子』秋水篇にでている故事に由来し、見識の狭いことを意味するという点で、一致している。つづく「されど」以下には、「されど空の蒼さを知る」「されど天の高きを知る」「されど地の深さを知る」「ただ天の広さを知る」などがあげられている。この部分は、中国から伝わったのではなく、日本に伝わった後に付け加えられたものとされている(例を多くあげているTRANS.Biz編集部チームのサイトより)

「されど」で始まるのだから、続く部分は、井戸の外の蛙ができないことでなけらばならない。とすると、上例のうち「地の深さを知る」だけである。

上記の例以外は、ネットで見つけることができなかった。私のパソコンのなかに、別の可能性を示す文章がある。速水御舟の娘であった故・速水彌生さんが、生前、三島カトリック教会報に書かれた短い文のなかで、次のように記されている。

日本には昔からいろいろと素晴らしい言い伝えがあり、それらは私たちの祈りの心を養い育ててくれるように思います。その一つは、「井の中の蛙 大海を知らず されど 天の星を見る」です。

2008年に書かれたもので、当時、教会報を編集していた方が次のような脚注付けている。

深い井戸を掘り、その底に降り立つことができると、空の青さを知ることができる、空の青さの中に昼の星も見ることができるという意味があるそうです。実際、井戸掘り職人の話では、深い井戸の底からまっすぐ天を仰ぐと、太陽の散乱光の影響がなくなり、昼間でも星が見えることがあるそうです。

井戸の底からは日中でも星を見ることができるのだろうか。この点については、以下のサイトが参考になる。科学的な説明、実際見たことがある個人の記事、などなどが、列挙されている。深い井戸の底だと昼間でも星が見える? -カテ違いでしたらすいません!- 宇宙科学・天文学・天気 | 教えて!goo これが事実だとすると、井戸の底にいる蛙は、昼間にも星が見えることになる。

百歩譲って、そんなことができるはずがないとして、考えることもできる。夜はどうだろうか。井戸の外の蛙も、中の蛙も、夜空の星が見えるだろう。しかし、違いがある。井戸の外の蛙には、広い夜空が見えるだろう。他方、井戸は定位置にある。そこから見上げる視野は、狭い枠に限られている。枠の中に見える星は、季節によって違いがある。ある星が、ある特定の時期に見えることに気づくだろう。小学唱歌にあるように、「星座はめぐる」から。井戸の底の蛙は、季節の予想ができるようになるだろう。井戸の外の蛙にはできない能力である。

最近では、地方でも井戸をあまり見かけない。不夜城の都会で、空を見上げることもないのではないか。生きている蛙を見たこともない人も、案外あるのでは?現在の人間には、「されど天の星を見る」の意味が通じなくなったのだろう。速水彌生さんの時代には、まだ意味をもっていた。すてきな言い伝えと思う。過去の記録としてだけでも、残ってほしい。








このブログの人気の投稿

共時性の不思議

心に残ること

存在する「マリア福音書」