マロン・グラッセの思い出

私には3歳年下の弟がいる。彼がようやく一人で歩けるようになったころ、寝ころんでいた私の顔に向かってシャ――ッとおしっこをかけた。それが私と彼の喧嘩の始まりだったと思う。取っくみ合いをはじめとし、棒やほうきをもって追っかけまわす、などなど。喧嘩が絶えなかった。下の弟の出産のため、母が入院しているとき、父は見舞いに行くたび、私たち二人を連れて行っていた。ある時、母は「この子たちは喧嘩ばかりするから、もう連れてこないで」と言った。

高校生くらいになると、腕力ではかなわなくなってきた。彼は、蔵の一階を模型飛行機を作るために使っていた。飛行機を組み立て、河原などに行ってリモコンで飛ばすのである。あるとき、私は蔵に行って、出来上がっていた飛行機一機を踏みつぶした。父が勤めから帰ってきたとき、弟が父に「姉貴が飛行機をこわした」と告げ口した。父は、「おまえが殴るか、けるかしたのだろう」と取り合わなかった。

私が大学に入って寄宿生活をするようになってから、二人の関係が変わり始めた。あるとき、マッチ箱サイズの郵便小包が弟から届いた。包みを開くと、文字通り、マッチ箱が出てきた。箱の中には、銀紙に包まれた栗が1つ。栗は白く固まったお砂糖にくるまれ、口に入れると、甘くお酒の味がした。半世紀以上昔のことである。今でいうマロン・グラッセだったのだろう。弟のメモが入っていて、「おいしいものをもらったから、一つ送る」とあった。

今年の秋は駆け足で終わりそうになり、マロン・グラッセの広告を見かけるようになった。マロン・グラッセという言葉を見るたび、私はマッチ箱入りの栗を思い出す。

(ちなみに弟は私がブログを書いていることを知らない。)

このブログの人気の投稿

共時性の不思議

心に残ること

存在する「マリア福音書」