共感疲労と祈り

毎日のように新聞やTVでウクライナについての報道を見ていると、気が重くなり、これ以上見たくなくなってきていた。そんな聖週間のある日、ミサのとき、司祭、参加者一同で心を合わせてウクライナのために祈った。ミサ後、重い気分が消えているのに気づいた。苦しんでいる方たちを心にかけ続けよう、と思えた。

最近、『内なる生』(イヴリン・アンダーヒル著、金子麻里訳)という本を頂戴した。ご親切な方が、折にふれて参考になるような本や資料を贈ってくださる。著者はイギリス人の女性で、英国国教会の信徒である。国教会の聖職者たちに語った3つの講話が収録されている。女性が、それも平信徒(といっても、神秘主義についての著書が何冊かある)が、男性の司祭たちに講話をしたことにまず驚き、次にそれが1926年であったことに驚かされた。

著者は、聖職者の仕事は多々あるけれど、まず、祈りによって自らのうちに神の命をいただき、それを伝えてほしい、と力説している。

人間は内なるエネルギーを、自らの力で生み出すことができないように思う。祈りはそのエネルギーをくみ取る方法なのだろう。

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