セカンド・チョイスとその後

大学院を卒業後、私は母校で教壇に立った。その後、修道会に入会し、2年の修練期間、続いてアメリカで神学を学ばせてもらった2年を除いて、仕事は大学での教職だった。入会後10年ほどして、終生誓願を立てる準備のため、1年間休職し、フランスとイタリアに行った。

誓願を立て終えると、日本の上長からの連絡があり、4月から高等学校で教えるようにと言われた。正直言って、格下げと感じた。高校に赴任し、1年生を担任し、教科としては英語を高1と高3に教えた。「『高校生に大学生を教えるような教え方をしないでください』と保護者から苦情が来ています」と校長から注意を受けたりした。夏休みになると、クラブ活動がある。陶芸クラブの顧問にもなっていたので、クラブ員と一緒に陶芸家を訪ねた。その道中、生徒の一人に、「シスター、少し緊張がほぐれましたか」と言われ、ギャフンとなった。

担任をすると、クラスの生徒の個人面接の責任がある。保護者会があれば、保護者との面談もする。生徒との個人的なつながりは、おのずから密になる。3月になると、担任のクラスがみんなで、私と同じ日の誕生日の生徒と一緒に、私の誕生日を祝ってくれた。全員が鉄腕アトムを歌っている中、誕生日の生徒と腕を組んでスキップをした(彼女らのアイディア)。

3月半ばになって上長から辞令があり、4月から大学に戻ることになる。高校での仕事は1年間だけだった。私が望んだことではなく、いわばセカンド・チョイスだった。でもこの1年で、貴重な体験をさせてもらった。忘れられない嬉しい想い出をもらった。教職の喜びが、知識の伝達だけでないことも知った。

例の誕生日にクラスからもらった熊のぬいぐるみは、今も私の机の上に鎮座している。

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