第五福音書で祈る

手元には、三つの手紙の束があった。一つの束は、私が実家を離れて東京にいたとき父にあてたもの、もう一つの束はその間に父が私にくれたもの、他の一つは私が修練院に入ってから父にあてたものだった。30年余り前に父が亡くなり、父と一緒に住んでいた弟が父のものを整理した時に送ってきていた。捨てかねて、ずっと部屋の隅に置いたままになっていた。

私の属する修道会では、年に一度の8日間の黙想が習慣になっている。今年はどのように過ごそうかと考えたとき、第五福音書で祈りたいと思った。聖書には四つの福音書が含まれている。福音書には神の救いの歴史が描かれている。私たちの人生もそれぞれに神の救いの歴史である。そのため第五福音書と呼ばれたりする。今年は、手元の手紙類を使って、私の救いの歴史をたどってみようと思った。祈りにあてる時間を決め、その間に手紙を読むことにした。

第一の束は、大学生・院生であった6年間と学長秘書であった1年半の間のもので、一番大きな束だった。内容は、ほとんどどれも、あれ送れ、これ送れ、である。私の実の母は幼い時に亡くなっており、父は再婚していた。義母に頼むより、父に頼みやすかったのだろうけれど、「濃い茶色の生地を何ヤード送れ」「マスチゲンを送れ」などなど、頼み事ばかりである。

秘書時代になってからは、縁談を紹介してもらうよう頼んだり、その話の決定をどうするかなど、それらはいずれもほとんど速達であった。60年ほどの昔、メールなどなく、学生のため大学にあったのはたった一台の電話であった。電話代も高価だったから、郵便でしか連絡できない時代だった。

自分勝手な願い事や言い分ばかりを連ねている手紙類を読んでいると、自己嫌悪に陥りそうになった。でも、父が望むのはそんなことではないだろうと思いなおし、私の願いに根気強くこたえようとしてくれた父の愛情に感謝し、その父を与えてくださった神様に感謝して祈った。

二つ目の束は、父が私にくれた手紙である。読みながら分かったのは、父がたびたび東京に来てくれていたことだった。土曜も半日の勤めを終えたのちだっただろう、当時の特急「つばめ」を使っても、8時間かかる。そして翌日、関西へ戻っていた。座席が取れると限らなかったから、疲れたに違いない。私は全く気が付いていなかった。

秘書時代に入って、結婚の話になると、社会的な心遣いなどなど、根気よく書いてくれていた。私が特にめちゃくちゃだった時代で、よくぞ付き合い続けてくれたと思った。

これら二つの手紙の束を読んで祈るのに、4日かかった。次の2日間、三つ目の束を読んだ。29歳の時に修練院に入った。2年半の修練期のあいだに父に書いた手紙である。修練院での生活のようすを書いたりしている。あれ送れ、これ送れ、はなくなり、家事はどうなっているか、弟たちや妹がちゃんと勉強をしているかなど、家のことを気遣っている。一つ目の手紙類にあったイライラ感はなくなっていた。きっと父もそれを感じ取っていただろう。

7日目、祈っているとき、「よくがんばったね」という声が、内から聞こえた。神様の声でもあり、父の声でもあるような気がした。

数日前に、その8日間の黙想を終えた。手紙類は、切手を切り取ったのち、処分した。8日のあいだ、すべての仕事を離れ、祈りだけに過ごせるのは、大きな特権だと、あらためて思った。

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