神の神殿である私たち
きのう、修道院で集まりがあった。会憲を少しずつ読んで、それについて分かち合いをした。会憲には修道会の基本的な決まりごとが記されている。きのう取り上げたのは、誓願についての部分だった。20人ほどが集まって、それぞれに思いつくことを話したのだけれど、一人の方の話が今も心に残っている。
ーー大学を卒業して、これからどうしようかと考えているときに、「シスターになることを考えては」と言われたことがあって、それで修道院に入ったと思っていた。でも、さいきん、どうして自分はシスターになったのしら、と考えていて、小学生の時、初聖体を受けたおりの時を思い出した。シスターたちが列になって廊下を歩いていらっしゃるのを見て、「私もあの廊下を歩かせてください」と祈った。あれが修道生活への最初の決心だったと思う。ーー
この方の分かち合いを聞いていて、神様が幼い子どもの心にずーーっと、80歳をすぎるまで、いらっしゃったのだと思うと、「あなた方は神の神殿です」というパウロの言葉(コリント第一3:16)が実感として迫ってきた。
介護施設にいる私たちのことだから、物忘れもしょっちゅう、というのがふつうである。でも、老いてからの物忘れはさいきんのことで、昔のこと、幼い時のことは覚えていると聞いている。この方もそうなのだろう。幼いころの宝物のような記憶が残っているとすれば、幸せだなと思う。