『禎子と千羽鶴』をめぐって
8月半ばにアメリカ人のシスターからメールをもらった(ルーミーの詩を送ってくれた人とは別の人)。件名は"Remembering Hiroshima"とあって、本文に「毎年8月6日には、あなたと、何年も前に命を失った多くの人を思い出します、『禎子と千羽鶴』という本を持っていて、毎年8月6日にはそれを読んでいます」と書かれていた。
そんな風に広島を思っているアメリカ人がいることに、心が和む思いがした。もしかすると、同じような思いのアメリカ人がほかにもいるかもしれない、と希望も抱かされた。
広島といえば、私の記憶に焼き付いている一風景がある。それに最も近い写真はないかネットで探し、見つけた。草も木も生えておらず、家並みも見えない瓦礫のなかに立つドームである。中学3年のときの修学旅行で行き、見た。
写真は、原爆投下で家族6人を奪われた野田功さんという方が1945年秋ごろ撮ったものだと、中国新聞デジタル(2022/8/4)にあった。私が見た風景は原爆投下後5年ほどしているが、状況はあまり変化していなかったのだろうか。別の建物の階段に焼け付いた人影も、くっきりしていた。
広島の後、倉敷に行き、大原美術館を見学。グレコの「受胎告知」、ドガの「踊り子」など印象に残った。でも家に帰るまで、すべて模写だと思って見ていた。日本にいい物などあるはずがない、とでも思い込んでいたのか。
広島への修学旅行は、私の戦争戦後の記憶の一コマで、思い出したくもなかった。もちろん『禎子と千羽鶴』も読んでいなかった。今回、アメリカ人も読んでいるのに、と思い、読むことにした。アマゾンで注文しようとしたところ、びっくりした。最初、英語で書かれたらしい。スペイン語、フランス語、ロシア語、ヒンディー語、トルコ語、ドイツ語などに訳されている。
何がこれほど多くの人の心を打ったのだろう?原子爆弾の恐ろしさか。それとも幼い女の子の思いやりの心か。原爆の負の影響は計り知れない。しかし、幼い子の心を受け止める人も、世界中で数知れない。
私は禎子のお兄さんが書いた日本語で読んだ。