渋谷区でただ一人

12月8日は、カトリック教会では無原罪の聖マリアの祝日である。1941年(昭和16)、長崎出身の若い女性が修道会に入会した。修道院にたどり着いて、その日に戦争が始まったことを知った。

1945年8月9日、長崎に原爆が投下された。3ヵ月後、このシスターは長崎に行く。おじいさんが庄屋で、梨・ブドウ・みかん・イチジクなどなど果物の木が茂っていた広い土地は焼け野原。両親、姉、妹も見つからない。人づてに見つけたバラックに泊まり、なにか食べるものをと思い、庭にあったカボチャを取ってきて料理して食べた。すぐに、吐く、下痢をする、赤いブツブツが皮膚にでた。放射能汚染された物質を体内に取り込んだためと診断される。

最初左脚を切開して、骨の腐敗している部分を削った。その治療に1ヵ月。右脚は慣れていない医師が手術をしたため、治癒するのに1年かかったそうである。被爆者手帳をもつのは、渋谷区でこの人ただ一人とのこと。

このシスターは食事の度、キャスターを押して食事の終わった人たちのお皿を集め、洗い場に運ぶ。今日も洗い場の人に「よく働きますね」と言われていた。御年、97歳。







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