自分の名前
菫という名前の人が、「子どものころは自分の名前が大嫌いだった」と言った。「お名前は?」と尋ねられて、「キン」と答えると、必ず「え?」と聞き返される。漢字「菫」を「キン」と読ませたのは、哲学者だったお父さんである。「キン」と決めるには、それなりの理由があったのだろう。「子どもの名前を考えるとき…人は詩人になる」と、どこかで読んだか聞いたかした。親は生まれる子どもの幸せを祈りながら名前を選ぶのだろう。子どもにはそんなことがわからないけれど。キンさんも、「子どものころは」と言っていたから、今は違うのかもしれない。
私が幼稚園に行っているころ、通園手帳とでもいうようなものをもって通っていた。幼稚園に行くと、花や動物のシールを一つ貼ってもらう。その手帳に私の名前が「サナヘ」と書いてあった。私の名前は「サナエ」なのに、「ヘ」などは嫌だと母に言って、幼稚園までいっしょに来てもらい、先生に話してもらった。先生によると、「苗」は「なへ」と読むので、「さなへ」ですと言われ、ガッカリ。現代仮名遣いになったのは、戦後、私が小学4年生の時である。そのときまで「さなへ」だったのかもしれない。幼稚園後のことは、覚えていない。