米寿の手習い リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 10月 17, 2024 なにか楽しいことを始めたくなった。けん玉も考えたが、バランスを崩してけがをしてもと思い、ハーモニカにした。まずハーモニカを手に入れなくちゃ。ネットで検索して、小学生・初心者用15穴のものを購入。¥1,500也。届いたものをさっそく試してみた。息を吹いたり吸ったりして、まずドレミファソラシドができるか試す。聖歌集の中からC調のものを選んで吹いてみる。楽しい! リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ
思いだす 6月 07, 2025 祈っているときに心に浮かぶことがある。いろいろあるけれど、人を傷つけたことが心をよぎり、辛いことがある。取り返したり、やり直したりできない。悲しくなる。祈りのなかでお詫びを言って、その人のために祈る。 さいきんつぎのような遠藤周作の言葉に出会った。 「ひとつだって無駄なものはないんです……ぼくが味わった苦しみ、ぼくが他人に与えた苦しみ…‥ひとつだって無駄だったものはないんです」 「他人に与えた苦しみ」が無駄でないことがあるだろうか。それを思い出すとき、「許してください」と今は直接に伝えられない場合、神さまを通して届ける。神さまに向かうきっかけになっている。年を取るにつれて、思い出すことも増える。申し訳ない思いは、無視するのではなく、鬱になるのでもなく、大切に受け止めたいと思う。 今日は聖霊降臨の祝日である。カトリック教会では、聖霊の賜物には7つ、実(ミ)が12あるとする。 賜物=上知、聡明、賢慮、勇気、知識、孝愛、主への畏敬 実= 愛、喜び、平和、忍耐、寛容、親切、善意、謙譲、誠実、柔和、節制、貞潔 私たちの修道院では、この日に聖霊の賜物と実(ミ)を印刷したカードを各人が引く習慣がある。今朝私が引いたのは、賜物は「賢慮」、実(ミ)は「平和」だった。どちらも必要としている実感がある。 続きを読む
若鳥の想い 1月 08, 2025 1975年1月5日、アッシジの巡礼宿の小聖堂で、私は終生誓願を立てた。ともに誓願を立てた28人のシスターたちは、スペイン、アメリカ、メキシコ、ポーランド、コンゴ、フィリピン、ドイツで、日本人の私をふくめて計8ヵ国から来ている、シスターの卵たちだった。私たちの共通語はフランス語しかなく、大体みんないい加減にしか話せない。「行った」と言いたくても、フランス語のaller は知っていても、過去形がわからないからaller と言ってから右手を挙げて後ろに振る、「行きましょう」なら前に向かって振る、といった具合。それでもなんとか通じ合って、3か月の養成機関を共に過ごし、1月5日に誓願式となった。 式をどこでするかについて、ローマの大聖堂でしたいという人もいたが少数で、私たちが毎日のミサにあずかっていた巡礼宿の小さな聖堂に決まった。 右の写真は、誓願式の時に自分の誓願文を私が総長のシスター・カマチョに手渡しているところである。写真が薄暗いのは、小聖堂で証明も薄暗かったからである。 ところで今年の1月5日は、この時からちょうど50年になる。「ああ、あれからもう50年か」と感慨深い。でもこんなことを今の共同体で話しても、誰も感心してくれない。ずっと以前に、金祝・ダイアモンド祝・プラチナ祝などを祝った人たちが大勢いるから。この共同体では、私はヒヨコではないかもしれないが、せいぜい若鳥か。 大勢の方々に助けていただき支えられて、神さまの恵みのうちに、ここまで来られた。 皆さまに、感謝。 続きを読む
コルベ神父と日本 8月 24, 2024 何年も前のことになるがアメリカに住んでいた時、一人のシスターがコルベ神父の大のフアンだった。マキシミリアン・コルベが本名だけれど、彼のことをマックスと呼んで、「マックスに頼めば、なんでも望みをかなえてくれるよ。駐車スペースまで見つけてくれる」と言って、彼の像のはがきサイズのカードをくださった。 私がコルベ神父について知っていたのは、アウシュヴィッツで処刑されようとしていた人の身代わりに飢餓房に入ることを申し出た人ということだった。 シスターを信じて、困ったときにはマックスのカードを取り出してはお願いをしていた。いつも助けられた。 修道院の談話室には新聞などを置くテーブルがある。2024年9月号の「聖母の騎士」という冊子をぐうぜん手にして、この冊子がコルベ神父によって創刊されたことを知った。コルベ神父が日本にいた!!! 神父は1930年4月に4人の仲間たちと長崎に到着している。日本人の留学生との出会いがきっかけであったらしい。5月には、日本語活字で「聖母の騎士」第1号を1万部発行した。1936年5月、修道院長に選ばれ、ポーランドに帰国する。ポーランドがナチスにより占領され、反ナチスとみなされて1941年逮捕され、アウシュヴィッツ収容所に入れられた。その後は、私も知っている。 「コルベ神父って日本にいたのだって」 食事の時のおしゃべりで私が言ったところ、 「知らなかったの?」 とあきれられた。 続きを読む