きゅうり=黄瓜!

新聞にキュウリについての記事があった。キュウリの語源は黄瓜だとか。びっくり!!!キュウリが熟した状態では黄色いとかで、そこから来た言葉だそうである。キュウリはあのグリーン色しか知らない。黄色くなることも知らなかった。当たり前と思っていたことが、そうではないことにびっくりさせられる。

最近読んでいる時代小説から、言葉の由来に気づかせられることが多い。読んでいるのは、高田郁作「あきない世傳」で、関西に生まれ育った主人公の女性が、江戸時代の呉服界で成長する姿を描いている。次のような箇所に出会った。

「吉次、お手塩を持ってきなはれ」
 声を張って奥の弟子に命じると、菊次郎は餅を順に素手でひっくり返す。あちち、と耳たぶで指先の熱を冷まして…(中略)
 折しも、吉次がお盆に手塩皿とお茶を乗せて運んできた。

子どもの頃、祖母が小皿をオテショウと呼んでいたことを思い出した。どういう意味なのか、ずっと頭の隅にひっかかっていたが、この箇所を読んで、なるほど、と思った。小さなガラス瓶入りの塩がなかった時代、塩を小皿にのせて膳の隅に置いたのではないだろうか。とすると、手元に置く塩=「お手塩」である。それが同時に皿を意味するようになったと思われる。「お手塩」→「手塩皿」→「オテショウ」なのだろう。

この本を読んでいると、やはり関西生まれ育ちの私が使っていた言葉の意味が、今になってわかる。「あぁ、そうなんだ」という感じである。

例えば、女性の使用人を「おなごしさん」と呼んでいた。小説では、「女衆」と記されている。「おなご(=おんな)+衆」に由来するのだろう。よく真似をする人をマネシと言ったけれど、「真似衆」であったらしい。卑しい性格の人を意味するゲスは、「下種」と表記されている。浴衣は「湯帷子(=ユカタビラ)」から来るらしい。

物語としても面白いけれど、言葉の発見も楽しんでいる。



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