プレバト・ファンです

ここ数年、テレビでプレバトを毎週必ず見る。見落とすといけないので、毎回、録画予約をする。1時間番組であるが、それ全体に興味があるわけではない。番組の半分は必ず俳句。あと半分は、消しゴムはんこ、水彩画、スプレイアート、生け花など、週によって変わる。 私が興味があるのは俳句の部分である。

出されていたお題に対して、5,6人の芸能人や有名人が俳句を提出する。まず、MCの浜田が作者に、どういう気持で、何を言いたいのかをたずねる。それを聞いてから、夏井いつき先生が必要な添削をする。句が新しくなると、見ている私も、爽快さを感じる。言わんとすることが、パッキリ表現されている心地よさである。

何週間か前の番組で、お題が「宿題」であったとき、梅沢冨美男が次のような句を出した。

 「白秋や 漢字ドリルに 書く名前」

この句について、梅沢は、次のように言った。「俳句をやりたいが、この年になって読めない漢字がいっぱいあった。それからお勉強をした。いろんなドリルを買った。小学生のドリル、中学生のドリル。自分のための宿題だった。『白秋』は自分の人生の秋にかけました。」

梅沢は70歳になる。幼いときから父の大衆劇団に出演し、中卒である。梅沢の話を聴いた夏井先生は、「俳句はさておき、オッチャン(=梅沢)の向学心に感銘を受けました。オッチャンの俳句に、小学生・中学生のファンが多いのもわかります」と言い、俳句については、「じいさんなら、じいさんらしく」とコメントした。季語「白秋」は、とてもいいが、小学生の詠んだ句とも取れる。そして、次のように添削した。

 「漢字ドリルに 白秋の 我が名記す」

夏井先生の添削に文句を言うこともある梅沢であるが、これには納得のようすであった。見ている私も、スッキリ!

梅沢の向学心には、私も感銘を受けた。




























このブログの人気の投稿

共時性の不思議

心に残ること

存在する「マリア福音書」