谷内六郎の机
録画予約をしようとテレビをつけたら、日曜美術館の終りかけの部分だった。ふと目に入った絵に惹かれて、残りの10分間ほどを見ていて、なんだか別世界に連れていかれたような感じが残った。谷内六郎の絵だった。そういえば昔、雑誌の表紙で見慣れた気がするが、じっくり一つの絵を眺めたことがなかった。TVが映し出す一枚一枚をゆっくり見ていると、しみじみと伝わってくる。もっと見たいと思い、『谷内六郎 いつか見た夢』(新潮社)を購入した。
「南風の歌」いうタイトルの絵では、木々の枝がピアノを弾いている。それに次のような言葉がそえられている。
輝くばかりのしずくが陽に光り、芽たちは喜びにゆれ、雲はピアノのキーのように白くのびて、木々の枝は名演奏家の手のように天に向かって手をのばし春のうたをかなでているかのようです。
人はだれでも小さい時、こんなような感覚、自分だけしかわからない宝石のような大切な感覚を味わう時がきっと一度や二度はあると思うのです。それを表現する職業の人(芸術家)でなくとも、みんなそういう体験感覚を一生もっていて、時々想い出していると思うのです。
彼の絵は、だれもがもっているけれど、ふだんはすっかり忘れている、その「体験感覚」を想い出すきっかけをくれる気がする。
上記の本に、谷内が幼い娘の広美さんを抱っこして、食卓で仕事をしている写真が載せられている。これが彼のふつうの制作スタイルだったそうである。彼の作品は、おさな児のこころを体で感じながら描かれたのであろう。
向田邦子が、原稿を書こうと机に向かうと眠くなる、と書いている。「不思議なもので、これが食卓だと、机ほど眠くならない。鍋敷きや醤油注ぎのそばにひろげる原稿用紙は、傑作は生まれない代わり、肩ひじ張らず気楽に物が言えそうで、すこし気が楽になるのであろう。」(『無名仮名人名簿』231頁)
谷内六郎の絵と向田邦子の文章のもつぬくもりは、家族でかこむ食卓のぬくもりなのだろう。