山形のマリア観音像

先日、福島から来られたお客様から、山形にあるマリア観音像のことを聞いた。観音が抱く幼子に光が差すと十字の影が出るとのお話だった。山形に行くことはかなわない。写真だけでも見てみたいと思い、インターネットで探した。右は、山形県公式観光サイトに載せられている写真である。

山形県東根市の龍泉寺境内の小さなお堂に祭られている。東根市はサクランボ佐藤錦の里である。像の高さは40cm、金箔がおされている。昭和3年(1928)の調査の結果、隠れ切支丹の遺物である聖母マリア像であることがわかった。黒目のガラス玉の裏側に十字が刻まれており、幼児像の裏側にも十字が描かれていた。子どもの腕に光を当てるとマリアの胸に十字の影が出るようになっていることも判明した。さらに、取り締まり対策も施されていた。イエスの像とマリアの像をつないでいたのは1本の竹串だけ。簡単に取り外しができる。役人に見つかりそうな場合はイエスを外し、代わりに別の人形を差し込もうとしたのではないかという。調査以降は「マリア観音」と呼ばれている。昭和44年(1969)、市の文化財に指定された。

住職の高橋賢雄さん(45)によると、代々語り継がれてきた由来は次のようである。
ーー昔、摂津国(大阪)から北前船で1人のキリシタンが仙台を目指し、龍泉寺の村にやってきた。村から仙台へ向かう国境には関所があり、そこでマリア像が見つかれば没収され、キリシタンは処刑される。そこで、龍泉寺に1泊したキリシタンは当時の住職にマリア像を預けていった。その後、寺に戻ってくることはなかった。
 預かった住職もマリア像を表に出せば処罰されるので、木の箱に入れて本堂の床下に隠した。代々、秘密を口伝えしてきたが、ある代の住職が「真っ暗な床下に置いておくのはかわいそうだ」と考えて、一計を案じた。マリア像の下部には台座を、背後には光背を作り足し、観音様のようにした。幼児を抱いている姿から、村の人たちには「子育て観音」と説明し、お参りさせた。以来、昭和の時代まで、子育て観音として信仰されてきた。
 しかし、頭のベールや幼児のフリル付きの衣服など子育て観音には似合わない格好から、戦前、山形師範学校(現山形大学)の研究者が像を解体して詳しく調べ、マリア像であることがはっきりした。ーー

この像を作った人は、命の危険を冒しても、工夫を凝らして自分の信仰を表現せずにはいられなかったのだろう。命がけで像を運んでいたキリシタンは、その像を守るため、お寺の住職を頼った。代々のご住職はキリシタンの像と知りながら、「子育て観音」としてまつり、守ってこられた。多くの方々の信仰に守られて、このご像は今日まで伝えられてきた。

福島の方のお話によると、カトリック信者の人たちがここへお参りに来て聖歌を歌ったりすると、本堂でお経を唱えられるご住職の声と合奏になることがあるとか。私の想像する天国はこんなところである。








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