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1月, 2023の投稿を表示しています

切り株から芽

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いつもの散歩道に大きな切り株がある。桜の切り株である。古木で倒れる危険があるので、ずっと以前に切られていた。2,3日前、散歩をしていたら、切り株の真ん中から芽が出ているのに気が付いた。桜の芽なのか、それとも何かの種がこぼれ落ち、芽を出したのか。わからないけれど、新しい命の誕生に、うれしくなる。 近くの桜並木には、葉っぱ一枚付いていない。でも何となくピンクっぽい。天気予報では、今夜はマイナス7度とか。春はまだまだでも、自然は準備を進めているようすである。

心に残る言葉

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さいきん心に残った言葉がいくつかあった。 TV番組「YOUは何しに日本へ」から。 食堂で働くスリランカ人の男性。「いつも笑顔ですね」と言われて、 「笑顔はただで上げられますから」 白寿のお母さんの世話をする義妹のメールから。 「(母は)自分で出来ることがだんだん 減って 、悲しいなあ と言っています。それでも 前向きです 学ぶこといっぱい有ります。」 TV番組「はじめてのおつかい」から。 3歳半の時、尊敬する先生に届け物をした女の子。16年後、再会した先生が色紙に書いてくれた言葉。 「鏡は先に笑わない」

忘れていたカラス

身辺整理をしていて、2000年前後の日記をつけていたノートを見つけた。2002年1月1日で中断している。ノートの残り半分ほどは白紙で、最後のページに10首ほどの俳句が書いてある。そのころ「俳句を作りましょう」と声をかける人がいて、それに乗って作ったことを思い出した。俳句とも呼べない、五七五に言葉を並べただけのものである。 来た来た来た 春が来たよと こじゅけい告ぐ 霜おりて スチレンかじる 猿あわれ 猿一族 ゆずきちかじる 日曜日 ゆずきちに 猿むれをなす 休みの日 鼻かすめる つばくろ冬は いずこにて 復活祭 今年は遅きを 花や知る うぐいすに 方言ありや ホーケキョケキョ 霜ゆるむ グランド駆けし 鹿のあと 老いて知る  なつきし烏の  声音の差 ふりかえれば 窓辺の烏 吾を見つむ 季語でなく 歌に詠まれぬ 烏あわれ 「なつきし烏」でびっくりした。そうだった。20年余り前に、なついたカラスがいたのだった。以前住んでいた修道院の建物近くに、用務員さんの作業場があって、近くの木の巣から落っこちたカラスの雛を、飛べるようになるまで育てていた。それを近くで見ていて、私もカラスに餌をやるようになっていた。昼食の残りのスパゲッティを物置小屋の屋根の上においてやると、カラスがくちばしの両端からスパゲッティをぶらさげて飛んでいく。庭の手入れに入っている植木屋さんが、「この家の人はカラスに餌をやってるよ」と話しているのが聞こえたりした。 2001年8月1日に、私は修道院の最初の建物から別の小さい建物に引っ越した。同じ敷地内だけれど、歩くと15分ほど離れたところである。上記の句を書いたのは、2001年春以前になる。引っ越して以来、なついたカラスがいたことなど、すっかり忘れていた。 昨年5月9日に「カラスの狙い?」というタイトルでブログを書いている。夜明け前のまだ薄暗がりのころ、ガタンガタンの音で目を覚してカーテンを開けると、窓際からカラスが飛び立った。それ以来、あれこれ思い出して、20年前のカラスだろうと考えるようになった。その前の20年のあいだ、カラスは頭になかった。 カラスがずっと私を覚えていたいたこと、私の部屋が新しい住み家のどこにあるか見つけたこと、私が気付くように窓辺に来たことなど、その知能に驚かされる。今のところ、なついているカラスは3羽いるようすである。親子かも。都会

昭和天皇とバチカン

1月9日の朝日新聞朝刊に、バチカンと日本との絆についての記事があった。 昭和天皇が皇太子時代に、当時のローマ教皇と面会したことに短く触れていた。「山本信次郎の尽力のおかげですよ」と言いたくなった。暁の星なる聖母の絵についてのブログ中で触れた信次郎である。 信次郎は幼いころから外国人と生活を共にしていた。暁星中学生となってからは、週7日のうち3日は英語の日、3日はフランス語の日と決められ、それぞれの日には、それぞれの国の言葉でなければ、自分の主張を述べることが認められなかった。海軍士官となってから、度重なる会議、談判などにおける彼のフランス語について、定評があった。1919年、東宮御学問所御用掛として、皇太子裕仁(のちの昭和天皇)にフランス語を教えるように命じられる。 1921年、欧州五ヵ国を半年にわたって訪問する皇太子に随行する。この旅行中に殿下のバチカン訪問が折り込まれた。当時、日本とバチカンとの間には正式の外交関係は結ばれていなかった。カトリックならびにローマ法王に対する偏見も世間一般に少なくなかったから、バチカン訪問については激論があった。信次郎は、他国元首の法王庁訪問の例などを説明し、法王庁が世界において占める重要な役割を説き、実現に踏み切らせる一因を作っている。 ★ それ以前に、彼自身は海軍士官としてヨーロッパに出張中、1902年、1908年、1917年、1919年にバチカンを訪問している。1917年には、暁の星の聖母の絵にベネディクト十五世から特別の祝福を受けている。皇太子とともに再びベネディクト十五世に拝謁する信次郎には、特別な感慨があっただろう。 ★ 『父・山本信次郎伝』山本正著、81-82頁。

初日の出

今日1月6日、日の出を見た。新しい年になって初めてだから、私にとっての初日の出である。いつもは7時からミサや集会祭儀があるから、初日の出を見ることはない。ところが今日は学校行事の関係でミサが11時ということになったので、テレビ体操の後、自分の部屋で祈ることにした。窓の向こうには、箱根連山が広がっている。7時10分ごろ、山の上に太陽が見え始めた。 日頃、太陽が照らしていることも意識していないな、と思った。空気があることを意識していないのと同じように。フランシスコ会の司祭で神学者の Richard Rohr という人が、「存在するすべてのものを満たす生命体を神と呼ぶ」と言っていたことを思い出した。なんだか太陽が身近に感じられた。 昨夜は夕食後、台所が水浸しになっているのに気づいた。最初、どこから出てくる水かわからなかった。床の水を拭いてから、あちこち探した。流し台の下の扉を開くと、排水管と下水管をつなぐ箇所が外れていた。このままで、水が流れっぱなしでは困る。頭を突っ込んで、なんとか二つの菅をつなぐことができた。そこでエネルギー切れ。流し台の下はビショビショのままである。 祈りの終わるころ、「これからあそこをきれいにしよう」という気がわいてきた。