祈っているときに心に浮かぶことがある。いろいろあるけれど、人を傷つけたことが心をよぎり、辛いことがある。取り返したり、やり直したりできない。悲しくなる。祈りのなかでお詫びを言って、その人のために祈る。 さいきんつぎのような遠藤周作の言葉に出会った。 「ひとつだって無駄なものはないんです……ぼくが味わった苦しみ、ぼくが他人に与えた苦しみ…‥ひとつだって無駄だったものはないんです」 「他人に与えた苦しみ」が無駄でないことがあるだろうか。それを思い出すとき、「許してください」と今は直接に伝えられない場合、神さまを通して届ける。神さまに向かうきっかけになっている。年を取るにつれて、思い出すことも増える。申し訳ない思いは、無視するのではなく、鬱になるのでもなく、大切に受け止めたいと思う。 今日は聖霊降臨の祝日である。カトリック教会では、聖霊の賜物には7つ、実(ミ)が12あるとする。 賜物=上知、聡明、賢慮、勇気、知識、孝愛、主への畏敬 実= 愛、喜び、平和、忍耐、寛容、親切、善意、謙譲、誠実、柔和、節制、貞潔 私たちの修道院では、この日に聖霊の賜物と実(ミ)を印刷したカードを各人が引く習慣がある。今朝私が引いたのは、賜物は「賢慮」、実(ミ)は「平和」だった。どちらも必要としている実感がある。