昭和天皇とバチカン

1月9日の朝日新聞朝刊に、バチカンと日本との絆についての記事があった。 昭和天皇が皇太子時代に、当時のローマ教皇と面会したことに短く触れていた。「山本信次郎の尽力のおかげですよ」と言いたくなった。暁の星なる聖母の絵についてのブログ中で触れた信次郎である。

信次郎は幼いころから外国人と生活を共にしていた。暁星中学生となってからは、週7日のうち3日は英語の日、3日はフランス語の日と決められ、それぞれの日には、それぞれの国の言葉でなければ、自分の主張を述べることが認められなかった。海軍士官となってから、度重なる会議、談判などにおける彼のフランス語について、定評があった。1919年、東宮御学問所御用掛として、皇太子裕仁(のちの昭和天皇)にフランス語を教えるように命じられる。

1921年、欧州五ヵ国を半年にわたって訪問する皇太子に随行する。この旅行中に殿下のバチカン訪問が折り込まれた。当時、日本とバチカンとの間には正式の外交関係は結ばれていなかった。カトリックならびにローマ法王に対する偏見も世間一般に少なくなかったから、バチカン訪問については激論があった。信次郎は、他国元首の法王庁訪問の例などを説明し、法王庁が世界において占める重要な役割を説き、実現に踏み切らせる一因を作っている。

それ以前に、彼自身は海軍士官としてヨーロッパに出張中、1902年、1908年、1917年、1919年にバチカンを訪問している。1917年には、暁の星の聖母の絵にベネディクト十五世から特別の祝福を受けている。皇太子とともに再びベネディクト十五世に拝謁する信次郎には、特別な感慨があっただろう。

『父・山本信次郎伝』山本正著、81-82頁。

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