共時性の不思議

昨日21日はミサがなかったので、夕方に集会祭儀があった。祭儀には、ミサの会衆用冊子「毎日のミサ」を用いる。朗読箇所の聖書本文や祈願などが、日付ごとに収録されている。祭儀の終わりになって、次の日の記事が目に入った。22日は、聖マリア(マグダラ)の祝日とある。

その日の朝、『マグダラのマリアによる福音書』を読んで学んだことをブログに記して、アップしたばかりだった。この本を修道院の図書室で手に取ったのは、深い興味があったわけでもなかった。ふと手が伸びたからだった。それなのに、夢中になって読み、ブログまでアップし、し終えたら、マグダラのマリアの祝日!!!

「毎日のミサ」は、祝日の説明を次のように記している。
”キリストに従う人たちの一人で、キリストが十字架上で亡くなられたときにそばに立ち、三日目の朝早く、復活したイエスと最初に出会った(マルコ16・9)。マグダラのマリアへの崇拝は、特に十二世紀から西方教会に広まった。(『毎日の読書』より)”
「毎日のミサ」は、カトリック中央協議会によって発行されている。マグダラのマリアが悔い改めた娼婦でないことは、現在、公認されているのだ。

一か月ほど前、『マグダラのマリアによる福音書』を手に取ったときから、マグダラのマリアの祝日に至るまで、目に見えない何かに導かれていたような気がする。


このブログの人気の投稿

心に残ること

存在する「マリア福音書」