失敗の聖人フィリピン・デュシェーン
「それ、もう食べたでしょ」
「あら、そうだったかしら。わすれてた」
きのう、お茶の時の会話である。お茶菓子は1人に一つずつ用意してあるので、一つ以上取ると、後から来る人の分がなくなる。でも、たった今、食べたことを忘れる人もいる。
同じ人が、
「そろそろ4時だから、行かなくちゃ」と言う。
「どこに行くの」とたずねると、
「4時からは、教皇様のために祈る」とのこと。
そばにいた人が、
「この方は、何曜日の何時に何のために祈るか、決めてるのよ」と、教えてくれた。
「すごい!先輩から教わることがいっぱいある」と私が言うと、
「私も先輩から教わったから。できることがほかに何もないでしょ。祈ることは、私の使命だと思ってるの」との返事。
今日11月17日は、聖フィリピン・デュシェーンの祝日である。フランス人女性で、1769年誕生。1805年、聖心会修道女として終生誓願を立てている。修道院と寄宿学校のために働きながら、アメリカに渡り先住民のために働く夢を抱いていた。アメリカに渡ったのは、1818年のことだった。紆余曲折を経て、1828年には6つの学校を仲間たちとともに運営するようになった。
先住民のために働きたいというフィリッピンの願いがやっとかなったのは、1841年。3名のシスターとともに、カンサス州のシュガークリークに赴き、ポトワトミ族のための学校の創立に献身する。そのときフィリッピンは72歳。働くことができず、ポトワトミ族の言葉を学ぶこともできなかった。でも、ポトワトミの人々は彼女を「いつも祈っている人」と呼んで、慕った。しかし、翌年には、健康上の理由から、シュガークリークを離れなくてはならなくなる。
ローズ=フィリピン・デュシェーンは1852年11月18日に83歳で帰天し、1988年に列聖されている。
この人の生涯を伝記で読んだりすると、失敗の連続のように思える。少なくとも、私だったら失意に沈んでしまうようなことの連続である。長年の夢であった先住民のために働くことがやっとかなったのに、何もできない。私ならめげてしまうだろう。にもかかわらず、自分にできる残されたこと=祈りを続ける姿に心を打たれる。
お菓子を食べたことを忘れたシスターに、聖フィリピンの面影を見る。