老いについて

大学時代の同級生のご主人で現在、訪問診療をしていらっしゃる方から、聖書は「老い」について何と言っているかと尋ねられた。すぐに思い浮かばず、そう返事をすると、「『あなたが若かった時には自分で帯をしめて行きたいところに行くことができた。しかし、年をとると、あなたは両手を延ばし、他のものに帯をしめられ、行きたくないところに連れていかれるであろう』(ヨハネ21章18節)という言葉があるけれど」とのメール。

「そのとうりですね」と返信したけれど、何か物足りない思いが残った。人間的なつながりだけを見ればそうだけれど、神さまとの関係ではどうなのかが問いとして残った。少し調べてみた。今私の心に残っているのは、聖書の次の言葉である。

   あなたたちは生まれたときから負われ
   胎を出たときから担われてきた。
   同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで
   白髪になるまで、背負って行こう。
   わたしはあなたたちを造った。
   わたしが担い、背負い、救い出す。(イザヤ書46章3⁻4節)

私たちの人生は白髪になるまで神さまに背負っていただいている。なにかホッとする。

このブログの人気の投稿

思いだす

コルベ神父と日本

若鳥の想い