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マロン・グラッセの思い出

私には3歳年下の弟がいる。彼がようやく一人で歩けるようになったころ、寝ころんでいた私の顔に向かってシャ――ッとおしっこをかけた。それが私と彼の喧嘩の始まりだったと思う。取っくみ合いをはじめとし、棒やほうきをもって追っかけまわす、などなど。喧嘩が絶えなかった。下の弟の出産のため、母が入院しているとき、父は見舞いに行くたび、私たち二人を連れて行っていた。ある時、母は「この子たちは喧嘩ばかりするから、もう連れてこないで」と言った。 高校生くらいになると、腕力ではかなわなくなってきた。彼は、蔵の一階を模型飛行機を作るために使っていた。飛行機を組み立て、河原などに行ってリモコンで飛ばすのである。あるとき、私は蔵に行って、出来上がっていた飛行機一機を踏みつぶした。父が勤めから帰ってきたとき、弟が父に「姉貴が飛行機をこわした」と告げ口した。父は、「おまえが殴るか、けるかしたのだろう」と取り合わなかった。 私が大学に入って寄宿生活をするようになってから、二人の関係が変わり始めた。あるとき、マッチ箱サイズの郵便小包が弟から届いた。包みを開くと、文字通り、マッチ箱が出てきた。箱の中には、銀紙に包まれた栗が1つ。栗は白く固まったお砂糖にくるまれ、口に入れると、甘くお酒の味がした。半世紀以上昔のことである。今でいうマロン・グラッセだったのだろう。弟のメモが入っていて、「おいしいものをもらったから、一つ送る」とあった。 今年の秋は駆け足で終わりそうになり、マロン・グラッセの広告を見かけるようになった。マロン・グラッセという言葉を見るたび、私はマッチ箱入りの栗を思い出す。 (ちなみに弟は私がブログを書いていることを知らない。)

谷内六郎の机

録画予約をしようとテレビをつけたら、日曜美術館の終りかけの部分だった。ふと目に入った絵に惹かれて、残りの10分間ほどを見ていて、なんだか別世界に連れていかれたような感じが残った。谷内六郎の絵だった。そういえば昔、雑誌の表紙で見慣れた気がするが、じっくり一つの絵を眺めたことがなかった。TVが映し出す一枚一枚をゆっくり見ていると、しみじみと伝わってくる。もっと見たいと思い、『谷内六郎 いつか見た夢』(新潮社)を購入した。 「南風の歌」いうタイトルの絵では、木々の枝がピアノを弾いている。それに次のような言葉がそえられている。 輝くばかりのしずくが陽に光り、芽たちは喜びにゆれ、雲はピアノのキーのように白くのびて、木々の枝は名演奏家の手のように天に向かって手をのばし春のうたをかなでているかのようです。 人はだれでも小さい時、こんなような感覚、自分だけしかわからない宝石のような大切な感覚を味わう時がきっと一度や二度はあると思うのです。それを表現する職業の人(芸術家)でなくとも、みんなそういう体験感覚を一生もっていて、時々想い出していると思うのです。 彼の絵は、だれもがもっているけれど、ふだんはすっかり忘れている、その「体験感覚」を想い出すきっかけをくれる気がする。 上記の本に、谷内が幼い娘の広美さんを抱っこして、食卓で仕事をしている写真が載せられている。これが彼のふつうの制作スタイルだったそうである。彼の作品は、おさな児のこころを体で感じながら描かれたのであろう。 向田邦子が、原稿を書こうと机に向かうと眠くなる、と書いている。「不思議なもので、これが食卓だと、机ほど眠くならない。鍋敷きや醤油注ぎのそばにひろげる原稿用紙は、傑作は生まれない代わり、肩ひじ張らず気楽に物が言えそうで、すこし気が楽になるのであろう。」(『無名仮名人名簿』231頁) 谷内六郎の絵と向田邦子の文章のもつぬくもりは、家族でかこむ食卓のぬくもりなのだろう。

小鳥のことば

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幸いにも私は自然に恵まれた地域に住んでいる。あたりに木々も多く、春にはウグイスのへたくそな「ケキョ」に始まり、数週間で「ホーホケキョ」に上達するまで聞かせてもらえる。初夏になれば、「トッキョキョカキョク」とホトトギスが鳴く。彼らの姿を見たことはないが、ヤマガラやシジュウカラは、庭の木に姿を見せてくれる。ヤマガラは人間になつきやすいらしく、私の手から麻の実を食べるようになった。ただ、野鳥の会の知人によると、餌付けをすると、小鳥が自然から餌をとる力を失わせるとのことで、すぐにやめた。 彼らにことばがあるとは、「小鳥の鳴き声にも『文法』」という新聞記事(8月31の朝日朝刊)を読むまで思ったことがなかった。動物行動学専門の鈴木俊貴さんという方の研究の結果についての記事だった。少し長い記事を以下に抜粋させていただいた。 小鳥のシジュウカラは鳴き声を複雑に使い分ける。ヘビなら「ジャージャー」、タカでは「ヒーヒー」。シジュウカラに、録音しておいた「ジャージャー」を聞かせてみると、地面を見たり茂みをのぞいたり、ヘビが潜む場所を探すかのようにふるまう。 天敵であるモズのはく製を木の枝に置くと、逃げるのでなく、仲間を集めて追い払おうとする。その号令は「ピーツピ・ヂヂヂ」。 「ピーツピ」は「警戒しろ」、「 ヂヂヂ」は「集まれ」で、単独でも使われるが、これらを組み合わせて鳴く。 その結果、仲間のシジュウカラは、モズを追い払うべく警戒態勢で集まってくる。 「ヂヂヂ・ ピーツピ 」にすると、伝わらない。語順も重要である。 シジュウカラの言葉がわかるのは、私だけではない。周りで暮らすスズメやメジロ、ヤマガラなどの鳥たちも、シジュウカラ語を学習し、理解している。 シジュウカラには感情、記憶力、判断力、行動力、仲間を思う心、などなどがあるのだ。私は、自然界には序列があって、人間はその頂点に立っているような気でいた。そうではなくて、みんな仲間なのだと気づかされた。

鳥居を通って昇る太陽

秋分の日、鳥居の真ん中を太陽が昇る神社について、9月26日の朝日新聞朝刊に記事があった。一般的に神社は南向きが多いが、この神社は真東を向いているとのこと。日の出の瞬間、太陽光は鳥居の真ん中を通り、奥にある本殿まで届く。浜松市にある六所神社という名で、地元の郷土史家の小杉順哉さんによって、9月23日に確認されたという。鳥居に「朝日宮」 の名があり、小杉さんは「どこに朝日と関係があるんだろう」と思い続けていたそうである。  メキシコのピラミッドの階段に、 春分の日と秋分の日の夕暮れ、 太陽がヘビのような影を投げかけるという話を聞いたことがある。 1000年以上前に古代マヤ文明によって建てられたピラミッドとかで、すごいな、と思っていた。天文学的知識と建造物とが結びついている。 それと同類の建物が、日本の、それも私が住んでいる静岡県内にあると知り、なんだか嬉しくなる。この 神社の正確な資料は残されていないものの、927年に全国の神社をまとめた「延喜式神名帳」に記載のある「朝日波多加(はたか)神社」の候補の一つとみられるという。もしそうであれば、マヤのピラミッドと同年代に建てられたことになる。 六所神社や近辺地域に資料も言い伝えも残っていないのは、1000年とまでいかなくとも、ずっと時代をさかのぼるからであろう。 この神社が示す天文学的知識は、 人々が自然の神秘と恵みに畏敬と感謝の念をもって建造したであろうことを思わせる。この神社だけのものとは考えられない。もしかすると日本の他の地域でも同類の神社やお寺があるのではないか。知られていないだけなのではなかろうか。 動揺の神社やお寺がほかにも