投稿

2月, 2022の投稿を表示しています

心のからくり

40年ほど前のこと、シカゴにいた。ロヨラ大学の付属機関の霊性研究所で9ヵ月のコースに参加していた。3人のイエズス会の司祭と3人のシスターが指導者だった。所長の司祭は、心理学を土台にする、経験的霊性を説く人だった。40人ほどの参加者で、半数はアメリカ人、残る半数はあちこちの国から来ていた。 週5日のプログラムで、毎朝9時に1時間の所長の講話で始まった。その後、参加者は8人ずつ位のグループに分かれて、午後3時まで、いろんな演習をした。アメリカ・インディアンの昔話やグリム童話を取り上げるグループ、夢を扱うグループ、サイコシンセシスを学ぶグループ、フォーカシングのグループ、などなど。所長以外の5人のスタッフがグループの指導に当たっていた。 あるとき、所長が講話で、若い母親から生まれた女の子は、父親の愛情を得ようと、母に対してライバル心をもつことがある、と軽く触れた。「そういえば、私は母が20歳のときの子どもだけれど…そんなことあるかしら?」と思い返していると、そのとたん、女性の指導者たちに対して私がもっていた競争心が抜け落ちるのを感じた。そんな競争心をもっていることすら気づいていなかったのに。 ちょっとした心理学の知識が、人の心を囚われから自由にしてくれることがある。

最初の記憶

ひとりで座っている女の子。これが目に浮かぶ最初の記憶である。同時に思い出すのは、祖母の声である。勤めから戻ってきた父に、「静江さんが、お腹が大きいのに、仏壇を二階までかつぎ上げてくれたんだよ」と言っている。これらの記憶は、私が2歳のときに神戸で起きた大洪水の折のものらしい。私を二階において、母と祖母は一階のものを上に運んでいたのだろう。宗教的な事柄の大切さを、この時に教わった気がする。 一段落した時に、「さあ、おうどんでもたべましょ」と幼い私が言って、大人たちが笑わされたとか。後になって、祖母から聞いた。

アッシジの聖フランシスコ

半世紀ほど前になる。終生誓願を立てる準備のため、30名ほどの修道女の卵が世界の国からアッシジに集まった。スペインから6、7人、アメリカからも同じくらい。ほかはメキシコ、ポーランド、オーストリア、イギリス、アイルランド、スコットランド、フィリッピンなどから1,2名。日本からは私だけだった。ともにアッシジで3カ月ほどを過ごした。 宿泊したのは、巡礼者用宿舎であった。丘の上にある城壁に囲まれた地域内にあった。お隣がオリーブオイルを製造する工場で、夜中は電気料金が安いとかで、夜になると、ガタンガタンと音がしていた。 色んな事を体験させてもらった3カ月だったけれど、指導者だったスペイン人のシスターが話してくれたことが今も心に残っている。弟子の一人が「神のみ旨とは何ですか」と尋ねたとき、聖フランシスコは「 あなたが心の底から望むこと 」と答えたということだった。でも、それを見つけるのは、やさしくないのではないか。少なくとも、私が見つけることができたのは、還暦近くになってからだった。 こんなことを考えていたら、甥のことを思い出した。彼は高校生のときに陶芸家ルーシー・リーの作品をぐうぜん見て、心を打たれ、イギリスまで行った。彼女の家をたずね、ルーシーに会って、作品を見せてもらっている。その後、京都教育大学に進み、陶芸の道を一筋に進んだ。こんな風に「心の底から望むこと」を見つける人もあるのだろう。現在、50歳近くなっている。いろいろ苦労をしたらしいが、私にはまぶしいほどの人生に思われる。 アッシジから帰ってきて、しばらくして、アッシジの写真集を眺めていた。記事の一つが、「愛するよりも、愛することを」という祈りについてであった。聖フランシスコの祈りとされているが、実は20世紀初頭に作られたものだと書かれていた。私自身、この祈りに何かしっくりこないものがあったので、納得だった。そういえば、アッシジの売店で、祈りの言葉を書いたカードなどが売られていたが、この祈りのカードはなかった。

白内障の手術

1月中頃に右目の手術、1週間後に左目の手術を受けた。お医者さんに手術を勧められながら、延ばし延ばしにしていたが、「このままにしていると、緑内障の治療ができなくなります」と言われて、観念した。 白内障の手術って、目にメスを入れるのだろうから、それが見えるだろうと思い込んでいて、それが何より怖かった。でも実際は、光がピカーッと見えて、そのあとは水が目の上を流れている感じだった。痛みもほとんど感じなかった。 手術後、4種類の目薬をもらい、それをそれぞれ違った回数点眼しなくてはならない。間違えずにできるのか、不安だった。ところが、手術後、1週間分の点眼予定表を渡された。朝、昼、夜、寝る前、のそれぞれに、どの薬を点眼すればよいかリスト化されており、安心した。 いろんな面で配慮がとても行き届いたいた。手術前には、「白内障手術のしおり」という冊子が渡されていた。手術についての説明のほかに、洗顔、入浴、運動、などなどをいつから始められるか、なども詳しく記されていた。 よその眼科を知らないので、どこでも同じようにされるのかもしれないと思う。でも、もしかしたら、いいお医者さんに出会えたのかもしれないと、ありがたく思っている。女性の細やかさなのか、それとも、この方の経歴にも関係するのか。内科医を目指して医学を学んでいるときに網膜剥離になり、眼科医になる決心をなさったとのこと。その治療を受ける段階で、患者の気持や必要を体験なさったに違いない。 手術後、世の中が明るくなった。見えていなかったものが見えるようになった。レンジ横の壁についている油跳ね、窓ガラスの汚れなど。見えるようになって気になるのが、面倒だけれど。 読書用の眼鏡を作れるのは、まだ少し先になる。それまで、少し我慢の必要を感じている。