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三島スカイウオーク

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「ミレーの『種まく人』を見に行きましょう」と、卒業生のTさんが誘ってくださった。山梨美術館がミレーの作品を何点か所蔵しているとのこと。行きたいのはやまやまだが、ここのところ体調が今一つで、片道2時間のドライブは無理の気がした。そうなら近場でとなって、三島スカイウオークに連れて行ってくださった。 全長400メートルの歩行者専用吊り橋は、日本一の長さを誇る。展望台からは、秋晴れの青空に富士山がくっきりと見え、振り返ると、駿河湾全体が一望できた。四方に広がる美しい風景を見ていると、午後にある左目の手術を忘れていた。 園内にあるラグジュリー・トイレを見学/利用後、出店で三島コロッケを買い、帰宅。 午後から、眼科に行き、後発白内障に対するレーザー手術とやらを受けた。緊張と不安がいっぱいだったけれど、大事ではなかった。 美しかった風景を思い浮かべながら夕食に食べたコロッケは、評判のとおり、おいしかった。Tさん、ありがとね。

捨てがたい物

ここのところ、身辺整理に励んでいる。本はほとんどすべて処分できた。苦労して手に入れたものもあり、またどこかで役に立つかもと思い、「もったいない本舗」という古本業者に段ボール箱につめて送った。送料は先方負担なので、助かった。次に、ためていた郵便物整理を始めた。心に残るものを残していたので、処分がむつかしかった。姪や甥が子どものころに度々くれた手紙は、燃えるごみとして出すに忍びなくて、空き缶の中で燃やした。 今、捨てられなくて困っているものがある。プラスチック製プリンカップの底中央に穴をあけ、糸を通して、その先に5円玉をぶら下げてある。風鈴のようになっているプリンカップには、星型の小さなシールがあちこちに張り付けてある。父が亡くなって、葬儀の後、弟に「さびしいね」というと、彼も同じように「さびしいね」と話し合っていたとき、弟の息子が「おばちゃん、これ」といって、差し出してくれたものだ。 現在、制作が注文に追い付けないほどの陶芸家になっている甥の、10歳のころの作品である。40年ほど前のもので、飾り棚の中で、少しほこりをかぶっているが、捨てられない。あの時もらった、心にじわーっとくる慰めをよみがえらせてくれるからである。 キンモクセイの木の下にでも埋めようかしら。

YOU、ネコ島へ行く

 「YOUは何しに日本へ」というTV番組がある。成田や関西の国際空港に番組のスタッフが行き、来日した外国人に「インタビューOK?」とたずねる。OKをもらうと、「YOUは何しに日本へ?」と質問する。さいきん、印象に残ったYOUがあった。 ネコが大好きで、世界11ヵ国をネコ旅してきたポーランド人男性だった。手首には漢字で「猫」の入れ墨をしていた。日本にあるネコ島に行くのが目的とのこと。番組スタッフが「ついて行っていいですか」とたずねられ、OKする。仙台でスタッフと落ち合い、電車で石巻まで、そこから船で40分。ネコ島の正式名は田代島で、面積約3平方キロメートルの小さな島である。江戸時代にネズミを作物から守るため、多くのネコを持ち込んだのが始まりだそうで、島のあちこちにネコがいる。人口が67人、ネコの数は150匹以上。 島に着いたYOUは、さっそく島の人に「ネコ神社はどこですか?」とたずねていた。方角を教わり、そこに向かう。その道すがら、スタッフにこの島に来た本当の目的を話していた。ーー高校生のころ、子猫をもらって、一緒に暮らしていた。一人っ子で寂しかった自分のそばに、いつもいてくれた。家族同様に20年間過ごしてきたそのネコが、2年前に死んでしまった。その死を受け入れられなくて、面影を探し続けていた。世界を旅しているとき、日本人と知り合い、ネコ島の神社のことを知った。この神社で祈って、死んだネコの弔いをするのが、今回の目的だ。ーー ネコ神社は、島で亡くなったネコの供養のため作られ、ネコ神様を祀る。ネコ島には世界中から年間1万人以上が訪れるそうである。 ネコ神社に着いた彼は、さい銭を入れ、祈る。愛ネコに「最後のお別れができて、幸せな時間だった」と言っていた。 ネコ島に「いいね!」をつけたい。

カラスの寿命

私の住んでいるところの近辺にやって来る人懐っこいカラスたち。彼らは用務員さんに育てられたひなの一族なのだろうか。用務員さんが勤務していたのは、20年ほど前になる。台所に杓子立てには、200年記念と書かれている。私の属している修道会の創立200年記念が2000年にあった時、用務員さんが竹を切って作ったものをいただいた。ということは、彼が働いていたのは20年ほど前のことになる。 『カラスの教科書』という本を買った。著者は「カラスに燃え、カラスに萌えるカラス馬鹿一代」を自称する松原始という方である。この本によると、カラスの平均寿命は、野生状態で20年、30年。中には野生でも30年、40年生きるのがいるかもしれない、とある。ということは、近辺の人懐っこいカラスたちは、用務員さんに育てられた一族と思っていいだろう。 松原さんは大学の卒業研究でカラスをテーマにし、さらに大学院で修士・博士とカラスの採餌行動をテーマとし、今もカラスの研究を続けておられるとのこと。カラスに興味をもつようになったきっかけは、夕方に実家の上空を飛んでいるカラスに向かって「かあ!かあ!」と鳴いてみた。すると、1羽か2羽のカラスが「カア」「カア」と鳴き返してきた。自発的に鳴いたのかもしれないが、このときにカラスを面白い鳥と思うようになったそうである。 この本を購入したのは、カラスの寿命がどれほどなのか知りたかったからだ。