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97歳の「定職」

97歳になるシスター。建物の中を行き来するには歩行器が必要だけれど、食堂の中とか短い距離は歩行器なしで歩ける。お皿に欲しいものを盛りつけ、自分の席まで運ぶ。その前に、歩くのがもっと不自由な人のために食べ物を席まで運んであげる。食事が終わると、キャスター付き小型のワゴンを押しながら、自分のテーブルばかりでなく、他のテーブルのお皿やお椀を集めて、洗い場まで運ぶ。 このシスターが体調を崩し、しばらく別の食堂で食事をすることになった。こちらではシスター自身も食事の介助を受けることができる。2,3週間ほどして、回復したシスターが私たちの食堂に戻ってきた。 食事が終わると、さっそくにワゴンを押し始めた。何人か心配した人たちが飛んできて、「ダメ、ダメ、ダメ」と止めようとした。「仕事を取られるのは、辛いよ」と、シスターの泣き声。できることは、なるだけ続ける方がいい、という院長判断で、汚れたお皿の回収はシスターの「定職」となった。 先日、私は補聴器購入のため病院に行った(購入費用は聖心会の援助による)。例のシスターは、3か月ごとの補聴器点検があるので、いっしょに行くことになった。病院で待っている間、車いすに乗っているシスターを見ると、スポンジ状のボールを両手に一つずつもって、にぎにぎを繰り返している。握力を保つためのリハビリなのだろう。 「負けた!」と思った。勝ち負けの問題ではないのだけれど、たとえ10年先に私が生きていたとしても、シスターのような気力は想像できない。

波動による認知

これまでも何度かカラスのガーコについて書いてきた。さいきん、東京の介護施設に移ってからも、散歩に出るとガーコたちに出会う。私の思い込みにすぎないと言われるだろから、これは保留にしても、疑問に思っていることがある。 2月に裾野市の病院に入院したおり、カラスたちが毎日のように、病室の窓から見えるところに来て止まってくれた。ベッドの中から写真を撮ったので、証拠がある。コロナ禍で面会禁止の折、今日も来てくれるかな、と毎日楽しみにした。病院は、私が住んでいたところから車で10分くらいの距離にある。病院に移った私を、カラスはどのようにして見つけたのだろう。病院のどこにいるか、どうしてわかったのか。病室を一つひとつ、入院患者を一人ひとり確かめたり、ではないだろう。 カラスは人をどのように認知するのか。ずっと、疑問になっていた。さいきん、ネット上で「これか!」と納得する記事を見つけた。 ――この世に存在しているすべてのものは、素粒子によって構成されている。 これらの素粒子は、光や音と同じように固有の周波数を発していることが分かっている。 波動の伝播性は高く、 どこまでも伝播する。 鳥は心で波動を感じ、人から発される波動状態を認識すると考えられる。 カラスのように知性を持った鳥は、他の鳥以上に波動の認知が高い。―― 東京に移ってからも、ガーコだろうと思うカラスに出会う。でも、「もう、来ないで」と念じている。東京都はカラスの被害を減らすため、捕獲しているらしい。東京まで来て、つかまって殺されるなど、絶対にあってほしくない。 参照:https://nandemoii.com/birds-like-your-human-nature/

いっしょに歩く

終戦記念日が近くなって、ここのところ、新聞では戦争に関連する記事が多い。きのうは、フィリピンのキリノ元大統領についての記事があった。彼は妻子を日本兵に殺害されていた。にもかかわらず、戦後、日本軍のBC級戦犯に恩赦を出している。夕食のとき、私たちのテーブルでの話題は、もっぱらこのことについてだった。 私を打ちのめしたのは、日本人の行った行為の残虐さもあるけれど、自分がそれを全く知らぬまま、これまで何人ものフィリピン人のシスターたちと生活してきたという事実だった。 夕食後、廊下をいっしょに歩いていたシスターに、 「生きるって大変だね」と、思わずつぶやいていた。すると、 「ポンコがなに言うとるん。いっしょに歩いていこ」 と言われた。じんわりして、心がほぐれた。 こう言ったのは、今は年齢も干支もわからなくなっている人である。「家に帰る」に書いたとき、私はこの人を家まで送っているつもりだった。でも現実は、私も送ってもらっているのだ。

家(うち)に帰る

アメリカ人のシスターからカードをもらった。カードの表に次のように印刷されていた。          We're all just      walking each other home.              --Rumi walk you home は、「あなたを家(うち)まで送る」を意味する。walk each other home は、「お互いを家まで送る」になる。私たちの「家」とは、どこか。私たち皆が出てきたところ=生命の源(=大いなる方)であろう。上記の句の直訳は「私たちはただ互いを家まで送っています」だが、含んでいる内容は大きい。 私が介護施設に来たのは4月だった。その時自分の年齢や干支を知っていた仲間の一人が、8月になった今は、わからなくなっている。そばでその人の変化を見ているのは、辛い。それがキリストに似たものになる成聖の過程だと言われても、辛さは変わらない。でも、いっしょに家に帰ろうとしている、それも同じうちに帰るのだと思うと、気持が和らぐ。 カードをくださったシスターによると、Rumiは、今、アメリカで人気のあるペルシア人の詩人だそうである。聞いたこともない名前なので、ネットで調べてみると、ルーミーは13世紀の神秘主義詩人とあった。日本でも結構人気があるらしい。