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11月, 2023の投稿を表示しています

幼な子のまなざし

認知症・統合失調症のお父さんの介護をしていた男性が書かれた記事を新聞で読んだ(毎日新聞朝刊11月16日付)。 下の世話を受けることで意気消沈していた父は、しばしば激高した。無力感と異臭におおわれていた時、保育園児だった息子が、「じいじのおむつ、でかっ!やっぱりえらいんだ。(おむつをはいていない)パパは仲間はずれ」と言った。また、3歳の誕生日に何が欲しいか聞かれて、「じいじの手品の歯がほしい。自由に歯を出したり、入れたりできるんだよ」と憧れのまなざし。 10年にわたる介護生活が幼な子の存在に助けられたとの記事に、笑わせられた。と同時に、幼な子をさして、「天の国はこのような人たちのものである」というイエスの言葉を実感した。         幼な子の まなざし澄みて 我を照らす  

失敗の聖人フィリピン・デュシェーン

「それ、もう食べたでしょ」 「あら、そうだったかしら。わすれてた」 きのう、お茶の時の会話である。お茶菓子は1人に一つずつ用意してあるので、一つ以上取ると、後から来る人の分がなくなる。でも、たった今、食べたことを忘れる人もいる。 同じ人が、 「そろそろ4時だから、行かなくちゃ」と言う。 「どこに行くの」とたずねると、 「4時からは、教皇様のために祈る」とのこと。 そばにいた人が、 「この方は、何曜日の何時に何のために祈るか、決めてるのよ」と、教えてくれた。 「すごい!先輩から教わることがいっぱいある」と私が言うと、 「私も先輩から教わったから。できることがほかに何もないでしょ。祈ることは、私の使命だと思ってるの」との返事。 今日11月17日は、聖フィリピン・デュシェーンの祝日である。フランス人女性で、1769年誕生。1805年、聖心会修道女として終生誓願を立てている。修道院と寄宿学校のために働きながら、アメリカに渡り先住民のために働く夢を抱いていた。アメリカに渡ったのは、1818年のことだった。紆余曲折を経て、1828年には6つの学校を仲間たちとともに運営するようになった。 先住民のために働きたいというフィリッピンの願いがやっとかなったのは、1841年。3名のシスターとともに、カンサス州のシュガークリークに赴き、ポトワトミ族のための学校の創立に献身する。そのときフィリッピンは72歳。働くことができず、ポトワトミ族の言葉を学ぶこともできなかった。でも、ポトワトミの人々は彼女を「いつも祈っている人」と呼んで、慕った。しかし、翌年には、健康上の理由から、シュガークリークを離れなくてはならなくなる。 ローズ=フィリピン・デュシェーンは1852年11月18日に83歳で帰天し、1988年に列聖されている。 この人の生涯を伝記で読んだりすると、失敗の連続のように思える。少なくとも、私だったら失意に沈んでしまうようなことの連続である。長年の夢であった先住民のために働くことがやっとかなったのに、何もできない。私ならめげてしまうだろう。にもかかわらず、自分にできる残されたこと=祈りを続ける姿に心を打たれる。 お菓子を食べたことを忘れたシスターに、聖フィリピンの面影を見る。

シルバー川柳

パソコンの中身を整理していて、ずっと以前に書きとめていたものを見つけた。 増えるもの しみ・しわ・たるみ もの忘れ 年老いて よき思い出も また増える 減っていく 年金・預金 髪の毛と歯 「ごちそうさま」 言うとき発見 不ぞろいの箸 メガネにも お探しサービス つけて 欲 ( ほ ) し 裏がえし 一日着てた 誰か見た? 受けた恩 新たに気付く 喜寿の春 五〇音 となえて探す あの 名前 失敗に 赤面する我 今いずこ 裾上げを やっと終えたら 表向き ファイルの日付を見ると、2012/11/29。10年以上前のことになる。修道院のメンバーが集まっていたときに、面白半分に作ったものだった。シルバー化はさらに重症化しつつある。新しい川柳を作るといいのかも。  

幸せな中学生

朝日新聞のひととき欄に「夢の中学生活」という記事が載っていた。中学生が投稿するの?と思い、記事末の投稿者を見ると、88歳とある。ナヌ!私と同年配! その記事によると、千代田区の公立中学校が、65歳以上を対象に通信教育の生徒を募集していた。投稿者は外資系会社に定年までつとめ、その後留学もした。心残りは、病弱で休みがちだったため、中学の基礎的勉強ができなかった。昨年4月にこの通信制中学に入学。登校日は月2回。年2回、校外学習がある。タブレットが貸与され、家で勉強もできる。理科の実験が楽しく、そのあと級友たちと話し合ったりする。 記事は10月19日のもので、1ヵ月近く以前のものになる。でも、すてきだな、と心に残った。投稿者と千代田区の両方に、「いいね!」マークを付けたくなる。

真珠を買う商人

修練期を終えて間もなく、アメリカで神学の勉強をする機会をもらった。1968年2月、私は羽田発サンフランシスコ行きの飛行機に乗っていた。アメリカに行くのは初めて、飛行機に乗るのも初めてだった。スカートが足元まである修道服を着て、その下には毛糸編みのペチコートをはいていた。飛行機のなかは暖かくて、途中でトイレに行って毛糸のペチコートを脱いだ。 隣の席の男性とのおしゃべりで、その方が真珠を扱う仕事をしていると知った。聖書にある真珠の商人のたとえ話を思い出した。「高価な真珠を一つ見出すと、持ち物をことごとく売りに行き、それを買う」というたとえである。「そんなものなのでしょうか」とたずねると、「そうですね」という返事だった。 その時以来、このたとえ話についてよく考えたことはなかった。さいきんになって、西経一神父の話を聞く機会に恵まれた。その講話のなかで、このたとえ話を取り上げられた。 「この商人は神さまですよ。あなた自身のことだと思っていたら、大間違いです」 という神父の言葉に、ハッとした。「買う」と「贖う」は同じ語だそうである。はっきりとしてではなくとも、ばくぜんと自分のことのように思っていた。 聖書(マタイ13:45-46)では、天の国がよい真珠を探し求める商人にたとえられている。「天の国」は、名詞ではなく動詞で、神のなさり方を意味すると理解できる。とすると 神が 私たちを、というか私を、すべてをさしおいて探しに来てくださる。それが神さまのなさり方だ、と理解すべきなのだろう。 私はすべてを置いて修道生活に入った、と頭のどこかで思っていた。けれど、現世的に考えても、すべてをいただいていた。アメリカへの留学だけにしても、そうだ。それ以来現在に至るまで、また現在も、すべてをいただいている。やっと、気付いたところです。