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6月, 2025の投稿を表示しています

子どもの心

         いのちさんへ          いつもぼくのために    やすまずうごいてくれて    ありがとう    いのちさんこれからも    がんばってください    きみのおかげで    いまもいきています          ( 小2) 小学2年生の男の子の「いのちさんへ」という上記の詩に驚かされた。子どもの詩を集めた『ことばのしっぽ』という本で見つけた。小学2年生にもなればいのちについて書けるのだ。私は自分がいのちに生かされていること、またそれに感謝することを考えもしなかった。    おとうちゃんは    カッコイイなぁ    ぼく おとうちゃんに    にてるよね    大きくなると    もっとにてくる?    ぼくも    おとうちゃんみたいに    はげるといいなぁ          (小1) 「お父ちゃん大好き」というタイトルの詩は、お父ちゃんへの愛にあふれている。フフフと笑いながら、大人の価値観と関係がないことにハッとする。 

♪愛のわざ♪

私の属している修道院は全員がなんらかの介護を必要としている。毎週木曜にはコロンバン会の神父がミサに来てくださる。その他の日は集会祭儀をする。集会祭儀とは「ミサもどき」と呼んだりするが、ミサの式次第を使って、司祭ではない者が司会をする。聖体拝領は聖櫃(せいひつ)に安置してあるご聖体を、司会者が一人ひとりに配る。 ここのところ暑くなってきて、私たちが集まる小聖堂も冷房を入れている。私は冷えから腸閉そくに3度なったこともあり、冷房を避けて聖堂の入り口近くの外側に、スツールを置いて座っている。 きのうのことだった。聖体拝領のため中に入った。司会者の人がすでに中にいる人たちに聖体を配っている。入り口近くに遠慮がちに立っていると、中にいた一人のシスターが司会者の人に私を指さしてくれた。 93歳になるその人は、脳こうそくの後遺症で歩行器を使っていて、認知障害もある。その人のこのような細やかな心遣いに驚きもしたが、胸がポカポカした。    ♪愛のわざはちぃさくても     神のみ手がはたらいて     悩みの多い世の人を     明るくきよくするでしょう♪ この讃美歌を思い出すできごとだった。

世界一のはさみ

TV番組「YOUは何しに日本へ」をよく見る。番組の記者が、成田空港や関西空港に到着する外国人に「YOUは何しに日本へ」とたずねる。どんな目的、どんな興味で日本に来たのか答えるYOUたちから、これまで知らなかった日本を教わる気がする。 先日見た番組で心に残ったのは、デンマークの男性美容師さんだった。ヘアカット用ハサミは日本のものが最高級だとのこと。切れ味がよく鈍(ナマ)りにくい。日本刀を作っていた伝統が残っているのかもしれない。燕三条の製造工場まで行って、職人さんが刃を研磨する過程など、 ハ サミの製造過程を見せてもらっていた。社長さんは工学博士だった。ハサミを2本買って、大喜びであった。 「YOUは何しに日本へ」が放映される時間にテレビが見られるわけではないので、私はパソコンでTVerを使う。 テレビ配信サービスで、民放テレビ局で放送された番組を放送がおわってからも一定期間内無料で見ることができる。 この文章を書いていて、Tver ではなく、TVer だと気づいた。表記はどちらでもいいのだろうけれど、TV(=テレビ )の文字が入っていることに気が付いた。

思いだす

祈っているときに心に浮かぶことがある。いろいろあるけれど、人を傷つけたことが心をよぎり、辛いことがある。取り返したり、やり直したりできない。悲しくなる。祈りのなかでお詫びを言って、その人のために祈る。 さいきんつぎのような遠藤周作の言葉に出会った。 「ひとつだって無駄なものはないんです……ぼくが味わった苦しみ、ぼくが他人に与えた苦しみ…‥ひとつだって無駄だったものはないんです」 「他人に与えた苦しみ」が無駄でないことがあるだろうか。それを思い出すとき、「許してください」と今は直接に伝えられない場合、神さまを通して届ける。神さまに向かうきっかけになっている。年を取るにつれて、思い出すことも増える。申し訳ない思いは、無視するのではなく、鬱になるのでもなく、大切に受け止めたいと思う。 今日は聖霊降臨の祝日である。カトリック教会では、聖霊の賜物には7つ、実(ミ)が12あるとする。    賜物=上知、聡明、賢慮、勇気、知識、孝愛、主への畏敬   実= 愛、喜び、平和、忍耐、寛容、親切、善意、謙譲、誠実、柔和、節制、貞潔 私たちの修道院では、この日に聖霊の賜物と実(ミ)を印刷したカードを各人が引く習慣がある。今朝私が引いたのは、賜物は「賢慮」、実(ミ)は「平和」だった。どちらも必要としている実感がある。

土も疲れる

5月31日付の朝日新聞朝刊に、記者の近藤康太郎氏がコメの生産について書いておられた。氏は記者を続けながら、コメ造りをしておられる。 ――石破首相はコメの減反政策から増産にかじを切る考えに同意したそうだが、水道の蛇口をひねるみたいに、簡単に増やしたり減らしたりできるもんかい。米を作る百姓が高齢化しているうえに、長い目で見れば、土だって年老いていく。(中略)人類は、地球から簒奪(サンダツ)して生きているんだ。でかいつらすんな。遠慮して、土を掘れ。ありがたく、おまんまを食え。―― 「土を耕しすぎると、10年もしないうちに厚さ1センチメートルの土が簡単に失われる」とも書かれている。 旧約聖書のレビ記25章4節には、土の安息年が定められている。    7年目は、地の全き休みの安息、すなわち主の安息となる。 西暦元年前の人々が知っていた知恵を、私たちが失うことがありませんように。