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6月, 2021の投稿を表示しています

宮崎の靴屋さん

朝6時25分から始まるラジオ体操で、私の一日が始まる。5分ほど前にテレビの前に座り、体操が終わると、ぬるま湯を飲みながら10分間ほどテレビを見ながら一息つく。 その10分ほどの間に、宮崎の靴屋さんを取り上げていた。ご主人は、子どもの頃の小児麻痺の後遺症で、今でも2本の杖を使って歩いておられる。足が不自由なので、遠くには行かれない。靴屋をすれば、その靴が自分の代わりに遠くまで行ってくれる。 だから靴屋になろうと思い立ち、奥さんと47年間、靴修理をしておられるとのこと。 修理に出すほどの靴は、いろんな思い出が詰まっていることだろう。靴をもちこむ人は、その靴の歴史を話したりするだろう。「お母さんが就職祝いに買ってくれたブーツなのです」と、かかとのはがれたブーツをもってくる若い人。長年履いていて、愛着のある靴、などなど。「靴にはそれぞれ歴史があります」とご主人。 ご主人が修理した靴を、奥さんが磨いて仕上げる。仕上がった靴が、自分の代わりに行く先を想像なさるのだろう。「二人で一人前です」と話す高齢のご主人は、幸せそうな笑顔を見せておられた。

小林稔侍とじゃがいも

最近は再放送のドラマでしか見かけることがなくなったが、小林稔侍という俳優さんがいる。「税務調査官 窓際太郎」や「駅弁刑事 神保徳之助」などのテレビドラマで、長い間、楽しませてもらった。地味で、ちょっとひょうきんで、けれんみがない演技に好感がもてた。それに少し弟にも似ていた。 いつのころからか、私はこの人に「ジャガイモ」というあだ名をつけていた。「今夜はジャガイモのドラマがある」とか、「ジャガイモが今度、映画に出るそうよ」というふうに。 少し以前に、たまたま、この人がTVインタビューで次のように話すのを見た。 若いころ、東映のオーディションを受け、合格した。同期で合格した人たちは、みな、男前で演技も映える人たちだった。そんななかで、自分は泥臭いじゃがいもでしかなかった。それなら、じゃがいもに徹しようと決心した。 胸を突かれる思いがした。彼は、ありのままの自分で演技をするという志を貫いておられたのだ。その志が、彼の演技から伝わってきていた。 ジャガイモさん、バンザイ!  

カメと神さま

数年前、8日間の黙想のため、琵琶湖畔にある祈りの家に行った。残念なことに、今はもう閉鎖されてしまったが、建物1階の一番奥が食堂で、湖水に面していた。全面がガラスの引き戸になっていて、そこを開けると、ちょっとした石畳、5メートルほどの白い砂地、そこに琵琶湖のさざ波がよせていた。 1日目の朝早く、ちょっと外に出ようとした。玄関は食堂の反対側にある。玄関のドアを開けると、ドア・マットの上に小さな、小さなカメがいた。3センチほど。踏みつぶされるといけないと思い、つまんで、傍らの茂みのなかに置いた。笑われるだろうけれど、そのカメを見たとき、神さまが待っていてくださったような気がした。 私は長い間、古代日本人の信仰の形を知りたくて、あれこれ調べてきた。古事記や日本書紀は、政治的な意図で編纂された文献だと考えるようになり、それ以前の信仰の形はどのようだったのか、追いかけずにいられなかった。そして見つけたのが、古事記や日本書紀以前に書かれたことが立証できる丹後国風土記に書かれた浦島伝説を見つけた(詳しくは拙著『浦島伝説に見る古代日本人の信仰』)。 丹後国風土記によれば、カメは神の取る一つの姿とされていた。古代、そのように信じる一大豪族が存在した。カメを見て神さまが待っていてくださったと思ったりするのは、浦島伝説にズブズブにはまっていた私の自然の反応だっただろう。 朝、二階の窓から庭を眺めながら、歯を磨いていた。指導司祭が前日の講話で、「歯を磨くのも顔を洗うのも、奉献生活の一部」と言われたことを思い出しながら。すると、カメが庭を横切るのが見えた。二階から見えるくらいだから、初日のカメより大きかった。20センチ以上はあっただろう。アレッ、神さまが私のなかで大きくなったのかな、と思った。 最後の日の夕食、皆、沈黙で食事をしていたが、一人のシスターが「カメが泳いでいる」と、大声で湖を指さして言った。見ると、何匹ものカメが頭だけ水の上に出して、こちらの方に向かって浮かんでいた。さようならを言いに来てくれたのだろう、と思った。 翌日の朝、 もうカメともお別れだと、少し淋しく感じながら 黙想の家を出た。 京都駅から新幹線に乗った。指定席は車両の一番前の席だった。 座って目を上げたら、目の前の壁にポスターが貼ってあった。中央に 左向きのカメの写真だけが車のように大きくのせられ、キャプションに「エ

幼稚園時代

 6歳のふうこちゃんの記事を読んで、自分の幼稚園時代を思い出した。 幼稚園にもっていく手提げ袋や、行った日にシールを貼ってもらうお通い帳に書かれていた私の名前はサナヘだった。サナエなのに、サナヘと書かれるのはいやだった。母に言って、幼稚園の先生に話してもらった。先生の答は、苗の仮名はナヘですからサナヘです、とのこと。がっかりした。現代仮名遣いで苗はナエになったから、今ではサナエと書ける。 ある朝、セーターの首元のボタンを留めるとき、素敵なことを思い付いた。一番上のボタンを一つ下のボタン穴に入れ、下のボタンを上のボタン穴に入れた。幼稚園についたら、先生が「今日は自分でお洋服を着たの?」と言って、ボタンをはずして、入れかえた。「大人って、なんてつまらないのだろう」とその時思ったことを、今でも鮮明に思い出す。大人は5,6歳の子どもがどんな目で見ているか、思いつかないのだろう。

種まきのたとえ話

種まく人のたとえ話が聖書に記されている(マタイ13以下)。種をまいた人の種が、道端や石地や、いばらの中に落ちた。それらは育たなかった。しかし、よい土地に落ちた種は百倍の実を結んだ、というたとえ話である。 この話を聞いた6歳のふうこちゃんが、神様に書いた手紙に、こんな風に記したという記事を読んだ。(『福音宣教』2021年6月号)  きょうかいで たねまきの おはなしを きいたの。  たねが むだに ならないように  かみさまの おはなしを  よく ききましょうって いったけど、  ふうこは あの たねたちは  むだにならないって おもう。  だって みちに おちた たねは とりさんが たべたし、  いしのうえや いばらのなかにおちた たねは  めをだして ひょろひょろでも  むしさんが たべたと おもうよ。  だから だいじょうぶ。  たねは むだになんか ならない。   (横田幸子編著「かみさまおてがみよんでね」コイノニア社) 聖書学的には、たとえ話は寓話と異なるという説明を聞いたことがある。寓話は、話のそれぞれの部分が何かにたとえられているのに対し、たとえ話は全体として一つのメッセージをもつ。種まきのたとえでは、種が大きな実を結んだというのが、本来のメッセージであった。 聖書の種まきのたとえを聞くと、私たちは「自分はどこに落ちた種だろうか」と心配になる。でも、イエスは私たちが自分や他人をとがめるためにこの話をしたのではないだろう。神のまく種はかならず実をむすぶ、と伝えようとしたのだろう。 ふうこちゃんは、イエスの思いをしっかりとつかんでいる。  

見えない助っ人マックス

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もう30年あまり以前になるが、アメリカの修道院に1年ほど滞在した。その折に出会ったシスターが「マックスに頼めば、駐車場のスペースでも見つけてくれるよ」と言って、はがきサイズのカードをくれた。カードはマキシミリアン・コルベ神父像の写真であった。シスターがマックスと呼んだのは、コルベ神父のことである。コルベ神父は、知られているように、アウシュヴィッツ強制収容所 で餓死刑に選ばれた男性の身代わりとなり、1941年8月14日に亡くなった。1982年10月10日、カトリック教会によって列聖されている。 大学の教授で、日ごろ沈着冷静なシスターが面白いことを言うな、くらいの気持で受け取っていたので、アメリカ滞在中は、マックスのお世話になることもあまりなかった。それでも日本に帰るとき、例のカードはちゃんと持ち帰った。シスターの言葉をまったく無視できなかったからだろう。 それからは、たびたびマックスのお世話になっている。印象に残った例がいくつかある。一つは、何年か前になるが、私の知人の体験である。「クラッチバッグを山手線のなかに置き忘れたらしい」と彼女から電話があった。クレジットカードや現金も入ったままで、カードはカード会社に電話して止めてもらったけれど、どうしよう、と泣き出さんばかりだった。どうすればいいのか、なにか助けてあげられないか。電話を受けながら、ふとマックスのことを思い出した。その人は、カトリック信者でもなかったけれど、「アメリカ人のシスターに教わったのだけれど、マックスにお願いしてみたらどうかしら。信じないかもだけれど、ためしにお祈りしたら」と言ってみた。2,3日後だったと思う。彼女からの電話で、警察から連絡があり、バッグが届けれたとのこと。中身もそのままだったらしい。 このごろ私は度々マックスのお世話になる。先日はカーディガンのボタンが一つ無くなっているのに気が付いた。ボタンたった一つだけれど、私にとっては大事件である。同じボタンはまず見つからないだろう。同じようなものを一つだけ買って付けるわけにはいかない。五個買って、みんな付け替えなくちゃならない。アーーア 。 マックスにお願いした。そのあと、最初に出会った人に、「ボタンを失くしたのだけれど」と言ったところ、「どんな色?」「グレーっぽいの」「ちょっと待って」と言って、彼女は家のなかに入り、そのボタンを手に出てきた。